人生は暇つぶし

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有能と無能を分けるものってなんだろう?

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こんな問いをしてみた事はあるだろうか?

「私は有能か?私と仕事を共にする仲間は有能か?」と。

そもそも有能と無能の違いってなんだろうか?

人間は所詮、相対的にしか物事を見れないので、有能も無能も相対的な評価に過ぎない。だけど、どこに行っても無能な奴はいる。残念ながら。

「イシューからはじめよ」で著者の安宅さんは仕事とは「力×距離」の変化であると記した。これは物理学における仕事ではあるけれども、なかなか的を射ていて、私もとても好きな表現。

 

有能は変化を生み出す。無能は変化を生み出さない。

有能は大きな変化を生み出す。無能は小さな変化しか生み出さない。

有能はプラスの変化を生み出す。無能はマイナスの変化を生み出す。

 

多分こういうことだろう。じゃあ、どんな奴が有能とされる変化を生み出すのか?

まずは行動する事、手を動かす事が重要なのだが、「やる気のある無能」ほど厄介な奴はいない。こんな奴はマイナスの変化を生み出したり、小さな変化しか生み出さないので、頑張っていても残念ながら無能とされてしまう。

行動しなければ変化は起こせないが、すればいいというものではない。

たくさんの無能とされる人を観察していると、わかることがある。無能な奴は総論を言われただけでは具体的な自分の行動が理解・予測できない人間なのだ。あらゆるパターンの各論をいちいち説明してあげないと、具体的な像をイメージできない。なので、総論だけ伝えられて仕事を任されてもスタックする。何をすればいいのかがわからないのだから、それは当然だ。

なぜ総論を伝えられるだけで、あらゆるパターンに応用できる人間がいるのに、それができない人間もいるのだろうか?

これは因数分解の粒度に起因している。

例えば「面白いストーリーを作ろう」という問いがあれば「面白い」を分解するわけだ。

「面白い=ミステリー×コントラスト」だとする。これが第一層。無能がここに行きつけばまだいい方で、多くの無能はこの因数分解すらしない(笑)。

次にミステリーとコントラストをそれぞれ因数分解する。「ミステリー=不気味さ×時間制限」、「コントラスト=幸せ×不幸」とか。まぁ、この辺はなんだっていいのだが、これが第二層。そうやって第三層、第四層と因数分解を続けていくと、面白いストーリーが具体的に見えてきて、何をすればいいかがわかる。

無能な人はこれができない。有能な人は短い時間で深いところまで因数分解をしてしまう。頭の回転が早いと呼ばれる人は瞬時に第四層とか第五層とかまで因数分解をしている。

無能な人がなぜ因数分解をできないのか?そういうトレーニングをしていないからといえばそうなのだが、それだけではない。トレーニングしなくたって出来てしまう人はたくさんいる。こういった因数分解を出来ない人、深く掘れない人は結局のところ言葉を知らない。だから、世界を粗く観ているので、因数分解の粒度も粗いところで止まる。無能を集めて因数分解レーニングをしてみても、深く掘っていけなくて、第二層ぐらいで手詰まりになる。普段からざっくりとしか物事を理解していないし、細かく見ようにも物事を分解できる言葉(概念や知識)がないので、不可能なのだ。

有能になる為には、言葉を学び、因数分解のトレーニングを積む。

どうせ人生は暇つぶしなのだから、言葉を学ぶ時間も因数分解レーニングをする時間もたくさんある。