人生は暇つぶし

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子どもに「勉強しなさい」という親ほど勉強していない事実

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「ゲームばっかりしていないで勉強しなさい」
親が子どもに言うお決まりの台詞ではないだろうか。

(私の個人的な意見としてはゲームばっかりしてても一向に構わないのだが)そもそもなぜ子どもがゲームばかりをしてしまうのだろうか?
勉強しなさい!と頭ごなしに言う前に立ち止まって考えてみたい。

ゲームが楽しいから。
理由はこれに尽きるわけだ。

ゲームよりも勉強、というか知識をつけ、知性を磨き、技術を高める行為をして欲しいと望むなら、ゲームよりもその楽しさを感じて貰えばいい。

とある骨董品を扱う器屋さんに訪れた。
そこは一流の料理人たちが通う器屋さんで、全国に名が知れ渡る名店だ。

私は「器の魅力や価値を一般的に広め知ってもらうにはどうすればいいのか?」と尋ねた。
店主は「例えば美味しいものを食べた時に使われていたお皿が凄く綺麗で感動したみたいな体験があると入りやすい」と答えてくれた。

そう。興味関心を持つ「体験」が大切なのだ。
それも主体的で主観的なものだ。

そういった体験から磨かれるものは面白がる力であり、楽しむ才能だと私は思う。

美味しい料理を食べた。お皿が綺麗だった。
また美味しい料理を食べた。なんかお皿がイマイチだった。
「あれ?この感覚なんだろ?」といった体験から器への興味関心が高まり、もっと学んでみたい、知ってみたい、より良い体験をしてみたいという知的欲求に変わっていくのだ。

 


ゲームよりも勉強が楽しく、面白く、もっと学んでみたい、もっと知ってみたい、もっとできるようになりたいという欲求が沸いてくれば誰もが自発的に「勉強」というものをするのだろう。

その楽しみ方や面白がり方、魅力や価値を子どもに伝えるのは間違いなく親なのだ。

では、親は勉強を面白がり、楽しんでやり、魅力や価値を知っているのだろうか?

もし目の前で親が楽しそうに学んでいる姿を見ているのであれば、子どもがそのことに興味を持たないはずがないのだ。

親が子どもの前で、スマートフォンでゲームをし、SNSをし、YouTubeを見て、テレビでバラエティやドラマを見ているだけでは、子どもが勉強を楽しむわけもなく、興味すら持たないのは当たり前なのだ。

「ゲームばっかりしていないで勉強しなさい」
それは子どもよりもむしろ大人の方なのだ。