【シン・エヴァンゲリオン劇場版を観た感想】人類補完計画とは陰キャラの希望だった【ネタバレ注意】
エヴァンゲリオンとは、スーパー陰キャの碇ゲンドウが拗らせに拗らせた陰キャラ根性を発揮した話だった。
(ちなみにこの記事では考察とかは一切しないので悪しからず)
しかし、碇ゲンドウの気持ちはわからんでもない。
他人と必要以上に関わりたくないとか、一人でいた方が楽とか。これは本当によくわかる。
アドラー心理学では、あらゆる悩みや問題は「他者との関わりがあるから生まれる」としている。これは本当にその通りだろう。宇宙でたった1人であれば、悩むことも課題が生まれることもない。それどころか幸福も不幸もないし、良いも悪いもない。(昨日のブログ記事でも書いたけど)
他人と関わるよりも、知識を欲して本を読み、自身でコントロールできる楽器を奏でる。
そんな他人と関われないコミュ障の陰キャラが、たった1人の女性に愛され愛してしまったら、そりゃその沼から抜け出せないよ。
沼から抜け出せないのに、さらにその愛している女性を失ってしまうとどうなるだろうか。もう一度会いたいと願ってしまうのだ。
そういえば「鋼の錬金術師」のエルリック兄弟は母親を錬成しようとして真理の扉を開けて身体を持っていかれたけど、死んだ人と会うにはその対価を支払う必要があるみたいだ。
まぁ、碇ゲンドウが考えたのは皆んな1つになってしまえ!ってことだった。それが人類補完計画。
人類補完計画によって、皆んな1つになってしまえば、ユイにも会えるし、自分も他人もなくなるから他者との関わりから生まれる全ての悩みや課題、問題も消えてなくなる。陰キャラにとっては最高の望みが叶えられるってもんだ。
そんな陰キャラ根性を拗らせに拗らせまくったオッサンのおはなし。鋼の錬金術師のお父様にも良く似た節があるように思った。
小学生の頃にテレビアニメ版を観てから25年かけての完結作(?)。
また観る時期によって感想も変わるんだろうな〜。