「改善した方がいいところ」を伝える意味があるか?
「あなたのこういうところは直した方がいいよ」
こういった評価の仕方や、指導の仕方、チームビルディングの仕方がある。
改善した方がいいところを伝えることに私自身はそれほど意味があるとは思っていない。
画一的な労働システムで価値のある評価システム
改善点を挙げる評価の仕方は、学校教育から日本人には根強くある。
今の学校教育は元々、画一的な労働力を生産するために出来上がったシステムだ。
なので、改善点を挙げて、欠点をなくし、誰でも同じ労働ができるようにする必要があった。
だから、なにか全く同じものを生産していく仕事には改善点を挙げる評価は意味があるだろう。
そうしないと同じ品質のものを生み出すことができないからだ。
特徴的な仕事を求められる時代へ
時代は移り変わり、画一的な労働力よりも唯一無二の能力だったり、そういった仕事や成果を求められるようになってきた。
(多分、随分前からそう)
他社の製品では得られない価値であったり、他人にはできないサービスやパフォーマンスであったり、職種も多種多様となり、人に求められるスキルや能力も様々だ。
1時間で100個のネジを作るという時間に制約のある仕事ではなく、たった1秒で閃いたアイデアが物凄いビジネスを動かすような時代でもある。
文明の進歩によって、そういった仕事や活躍が求められているのだ。
評価制度は高度成長期のままな日本
たった1秒で恐ろしいほどの価値を生み出せるような仕事でも、未だに評価制度は高度成長期のままだ。
欠点を探し、それによって減点していく。
仮に1秒で100億円の利益を生み出しても、1日8時間を遅刻早退なしに働かなければいけないし、過度な身だしなみやコミュニケーション能力などを求められたりする。
例えば、「トーク能力は高いけど人の話は全然聞かない」という人がいたとする。
その人は素晴らしいトーク力でプレゼンを行い、会議では話をまとめあげ、商談での契約も多数獲得していたとしよう。
だけど、あまり同僚の話を聞くことはなく、自分の主張を突き通してしまう。
他人の教育や育成にも携わろうともしない。
そして、上司との評価面談で「他人の話を聞かない」ことを槍玉に挙げられ、「もう少し他人の話を聞いて、教育や育成をするように」と厳しく言われる。
彼はそれから聞き手に回るようになって、持ち前のトークを発揮する機会が少なくなる。
そうするとこれまで上げていたような成果がなくなり、評価も下がる。
さらにはそんなアドバイスをしてきた上司や同僚達を恨んだ。
これが日本の評価制度の実情だろう。
次回につづく