人生は暇つぶし

人間の一生はただの暇つぶし。どうせ暇つぶしするなら、より楽しく、面白くすれば幸せ!そんな暇つぶしテクニックをシェアしているブログ。毎朝8時更新!

ルールがある中で幅を持たせられるのが実力の証

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もしサッカーにルールがなかったら?

もし野球にルールがなかったら?

それは死ぬほどつまらんスポーツだろう。

もはやスポーツかどうかすらわからん。

ルールがあるからこそ、その制限の中でより良く、より自由に、より上手くできる様になろうとする。だから、技術を磨けるわけだ。

もしルールが無ければ技術を磨く必要もない。そうすると一気に面白味が無くなってしまう。

 

料理もそれと同じ。日本料理なら日本料理の、鮨なら鮨の、フランス料理ならフランス料理のルールがある。そのルールのなかでより美味く作ろうとするから、技術が磨かれていく。技術が磨かれていくから、ルールの中でも幅を持たせて料理を作ることができる。

 

仕事もそうだろう。仕事にも色んなルールがある。社会的な制約から、社内のつまらんルールまで色々とある。何の意味もない慣習化しているクソみたいなルールは無くてもいいのかもしれないが、逸脱できないものもある。ブランドイメージであったり、ユーザーファーストであったり、社会的なモラルであったり、使える金であったり。

そういった制約がある中でも、できる限り遊び心をもって、誰よりも幅を持たせて仕事をできる奴は、間違いなく実力者だ。

誰も思いつかなかったことや、できなかったことを成果としてあげていける奴は、ルールがある中でも、どうすればより良くしていけるかを真剣に考え、鍛錬を積んで、仕事に取り組んでいるのだろう。

人生の暇つぶしにもルールがあると磨きがかかって面白い。

当たり前のことを当たり前にやり続ける人ってシンプルがゆえに最強

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当たり前のことを当たり前にやり続ける。

たったそれだけのことで誰も到達できないところまで辿り着く人がいる。

当たり前のことを当たり前にやれる下地には、自分自身も自分の周りの環境も、ありのままを受け入れる心があった。それ以上を望まず、それ以下に落とすこともなく、全てを等身大で捉えて、受け入れる。

例えば、寂れているこの街がもっとこうなったらいいのにな〜という想いはなく、寂れているなら寂れているからこそ、それが良いところでもある。だからこそ、当たり前のことを当たり前にやり続けられる。

それは自分自身ができる目の前のこと。

自分自身がコントロールできることは自分自身の行動だけなのだから、やれることをやり続けるという連続が己を研ぎ澄まし、シンプルにしていく。無駄な贅肉が削ぎ落ちれば屈強な自己が出来上がる。

この人は本当に最強の部類に入る1人だな〜と感じた。

机上ですら達成しない目標なんて意味はない

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目標設定というものがある。

社会人であれば良く出会すあれだ。

営業部であれば特にだが、売上などの数値目標で語らないといけない。

前年比の110%だとか、130%だとか、まぁそういうやつだ。

問題は前年比110%なら110%で、それをどうやって達成するかだ。

KGIが前年比110%。

その次のKPIを設定しないといけない。

このKPIは、設定したKPIが達成すればKGIの前年比110%が達成するものでなくてはならない。

これを理解していない奴がいたりするので、本当にビビったりする。

例えば、働いているのがチョコレート菓子店だとする。

販売しているチョコレートが100アイテムあるとしよう。これは去年と変わらない。

目標は前年比110%だ。

色んな指標があるのだが、ある人は「全アイテムの在庫数が常に1以上あるようにすること」をKPIにしようと言い出した。

売り切れがあれば機会損失になるわけだから、これはなるほど確かにと思うかもしれない。

ただ、去年は在庫切れ率が平均して10%だった。

さて、本当に在庫切れを0%にして、目標の110%を達成できるのだろうか?

これは当然「わからない」わけだが、おそらくできないだろう。

 

なぜか?

当たり前だが、在庫を潤沢にしていても、客が来なければ買われない。在庫を潤沢にしていても、その商品に魅力がなければ買われない。などなど、在庫切れだけでは解決できない問題が多々あるからだ。

これで、昨年の在庫切れ率が50%とかであれば、在庫をしっかりと用意することで売上が上がることは予想されるが、そうではない。

きっと在庫切れ率がボトルネックではないのだ。

さらに、在庫切れ率が1%改善されたら、いくらの売上につながるのかが計算できない。こういった数字をKPIにすることも非常に愚かだ。

そのKPIを達成してもKGIが達成できるかどうかがわからないからだ。前提条件を無視しているのだ。

KPIを達成するためのKDI、つまりはTODOレベルであればそういったものを設定するのは全然OKだが、それはKPIにはならないので、勘違いしてはならない。

目標設定をするなら、必ず机上の計算で達成するものでないと、絶対に現実には達成しない。

そう思って目標設定はおこなおう。

最初にやる奴が結局は偉い

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あんな事いいな、できたらいいな。

ビジネスの場でもそう考えることは沢山ある。

こんな商品があれば、、、。

こんな販売手法をすれば、、、。

イデアは誰でも思いつくのだが、結局はそれを実際にやる奴がいない。

なので、誰でも思いつくことを最初に実践した奴が偉いのだ。

 

窓開けテストというものがある。

ある試験を受ける数人の人間が、部屋で待たされる。わざと部屋を閉めきって、室温が高くなるように仕掛けておく。誰もが暑いな〜と感じるが皆んなそれを我慢する。その時に一番初めに窓を開けた奴を合格にするというテストだ。

 

一番初めに動ける人間は勇気もあるし、判断力もあるし、実行力もあるし、合理的な思考も持ち合わせている。

頭で考えるだけではなく、それを実行できる人間。

それも一番初めにできる人間が、やはり偉いし、時間を無駄にしないのだろう。

再現性がないのに事例共有しても意味はない

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ナレッジの共有だとか、事例共有だとか、そういういことを躍起になってやりたがる奴らは多い。

そして、それを求める奴らも多いし、それが評価に値すると勘違いしている奴らも多い。

成功事例も失敗事例もすべて「再現性」が担保されていなければ意味はない。再現性が担保されているということは、ちゃんと因果関係が科学されているということなのだ。

もし事例を共有するのであれば、再現性を持って共有しなければならない。

企業でおこなう研修や教育、勉強会は費用対効果が非常に低いのに、皆んなやりたがる

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本っっっ当に研修や教育、勉強会は無駄。

時間の無駄でしかない。

その時間に支払っている給料ももったいない。

マジで。

それなのに従業員にアンケートを取ったりすると

「研修や教育がない」という不満があがってきたりする(笑)

まぁ、そんな不満をいう奴らを教育したって効果がないからしないのであって、そういう奴らが不満を言うのなんて折り込み済みな訳だが、管理職や人事部の評価に悪影響が出るからポーズでやったりするのが教育研修だ。

そもそも「学びたい」と本気で思った奴は自分で本を読むなり、誰かに教えてもらうなりして、すでに学んでいる。

そういう人は会社がやるような全員向けの当たり障りない、ある意味どうでもいい教育研修なんて価値がないと知っている。

たまに全員強制参加の勉強会を開催したりする意識高い系な奴もいたりするが、あれも本当に無価値。

勉強したくもないことを勉強したって身につくはずもない。

そして、受動的に学ぶと賢くなったことに満足して、それで終わってしまう。

学んだことは実践して初めて意味があるのだが、それは主体的に学ばないとなかなかアクションに起こせないものなのだ。

時間の無駄をしているほど人生は長くはないので、人生の暇つぶしを有意義にするためには、企業で行う研修や教育、勉強会は廃止した方がいいだろう。マジで。

営業をしなくても良くするのが営業マンの真髄

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「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」

 

新規開拓営業って大変で難易度も高い。社会に革新的なイノベーションを起こすようなものでもそれは同じだ。開拓を進めれば進めるほど、どんどん客は減っていく。アーリーアダプターやアーリーマジョリティまでは割りかしイージーでいいが、後発で契約を結んでくれるレイトマジョリティや頑なに新しいテクノロジーの導入を拒むレガートなんて本当に厳しい。

しかし、新規開拓が進めば進むほど、そんな奴らばっかりが残ってしまう。

当然、競合他社もそこに対しての新規開拓に苦戦しているのだから、そこのパイを奪えればそれほど素晴らしいことはないだろう。

ここで重要となってくるのが力学。

 

手に入らないから欲しくなる。

売りつけられる物は買う気が失せる。

こういったものは全て力学であり、原理原則だ。

押す人がいれば、押される物が必ずある。

追う人がいれば、逃げる人が必ずいる。

 

戦わずして勝つ。

なぜInstagramをこれほど多くの人が勝手に使うのか?

なぜGoogleを皆んなは使うのか?

誰にも営業をかけられていないのに使ってしまうのはなぜか?

 

戦わずして勝つ理由はそこにある。

営業マンの真髄もそこにある。

僕たちにあるのは「いま」だけ。可能性の中に生きるな。

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「コロナが収束したら」

こんなバカなことをこの1年で何度聴いたことだろうか。

そんな可能性の中に生きていて、何ができるのだろうか?

死亡フラグを知らないのだろうか?笑

 

とにかく、私たちは「いま」にしか存在していなくて、「いま」しか感じられず、「いま」しか行動することもできず、「いま」しか生きられないのだ。

「過去」の自分の行動を変えられないし、「未来」の自分を動かすことはできない。

私たちは「いま」しか生きられない。

 

「資格を取ったら」

「英語を勉強して話せるようになったら」

「もっと知識を身につけてから」

「もっと練習して出来る様になったら」

全部、可能性の中に自分を連れていってしまっている。「いま」しか生きることができない自分を、分かりもしない未来で行動させようとしている。

 

「コロナが収束したら」と言っている奴に、「いま」の時代を作れるだろうか?

もちろん無理だ。

可能性の中で人は生きられない。

「いま」を生きている私たちに出来ることは「いま」しかないのだ。

だから、私は可能性の中に生きない。

ニーズもウォンツもない商品サービスを広めるならハゲの真似をしろ

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孫正義というハゲがいる。

素晴らしい経営者であり、最高のビジネスマンだ。

彼はその時にニーズもウォンツもない商品サービスだが、将来的には必ずニーズもウォンツも高まる商品サービスを圧倒的スピードで広める術に非常に長けている。

Yahoo!BBを広めた時も、iPhoneを広めた時も、PayPayを広めた時も、多分それ以外もそうだろうが、必ずその術を使っている。

そもそもニーズもウォンツも無いとはどういうことか。

ニーズが無い。つまり、別に無くてもいいものだ。贅沢品とかはニーズの低いものになる。別に鼻セレブじゃなくても普通のティッシュで必要は満たされるからだ。

では、ウォンツが無いとはどういうことか。今度は逆に生活必需品なんかはウォンツが低いものになる。「トイレットペーパーほっしぃーなぁー!」ってなった事がある人はいないはず。まぁ、運悪くトイレで用を足した後にトイレットペーパーが無かった時はそうなったかもしれないが。そういったものではなく、高級車やブランド品、高級レストランでの食事券とか、別になくても生きていけるけれども欲しくなるものはウォンツが高いものだ。

例えばPayPay。こんなものなくても普段の生活には何ら困らない。これまで普通に生活できていたのだから。なので、PayPayを生み出した時点ではニーズもウォンツも極限に低い状態なわけだ。iPhoneなんかもそうだろう。別になくたって困らなかいわけだ。実際にiPhoneが日本で発売された当時、私は販売する側の人間だったのだが、本当に苦戦した。「うーん。別に今はいいかな」みたいなことを言われまくるのだ。今、そんなことを言う人は皆無に近いだろう。だが、新しいものが生まれた時は必ず「別に今は無くていい」が課題として生まれる。

孫正義はこの課題を乗り越えていくのが非常に上手い。

何をするかというと、タダで配るのだ。

「とりあえず使ってみてよ!タダだから!」

これである。

人はリスクを負うのを嫌う。なによりも失敗をしたくない。自分が無能だと思われたくないし、自覚もしたくないからだ。

それがタダなら、仮にその製品がクソでも痛みがない。失敗が失敗にならないわけだ(まぁ、もとろんチャーンが起きないように色々と仕組みがあるわけだが)。なので、まぁクソ商品でも今後修正されて良くなるなら折角導入したんだし、タダだし、使い続けてやるかってなる。

これが無料でなくて、ニーズもなくて、ウォンツもなくて、さらに決して全てにおいてクソじゃなくても何か1つでもトラブルがあったらどうだろうか?

瞬く間に解約されてしまうのだ。

そういったことがでっきる限り起きないようにデザインされたビジネスは本当に素晴らしい。

孫正義、伊達にハゲていないな。

自分の人生を生きている奴は面白い

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自分のやりたいことを突き詰めて、

好奇心と探究心をもって研究し、

心技体を極め、

それだけに特化した人生を送っている人は、

魅力的だし面白い。

 

他人の評価を気にする奴とか、

他人に期待したりする奴とか、

他人の行動をあーだこーだいう奴とか、

空気読んだり、同調圧力に屈したり、

コンプラだなんだと言ったり、

正しさに囚われたりしている奴らは、

面白くてないよね。

 

結局は自分の人生を生きているかどうか。

他人軸ではなくて、自分軸で生きる。

自分の人生の時間を過ごす。

他人の人生に干渉しない。

 

それが最高の人生の暇のつぶし方だと思う。

新型コロナの茶番劇具合を中学校で例えてみた

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全校生徒は720人。

1クラス40人で6クラス、一学年240人。

日本人口のうち新型コロナにかかっているのは0.37%なので、これをこの学校に当てはめてみる。

そうすると一学年に1人ずつ、感染症に罹った生徒がいることになる。

この1人のために学校では修学旅行を中止。体育祭や文化祭も自粛。全員がマスクを着けて登下校し、授業中も着けたまま。給食の時も着けたままで食事する。もちろん会話はしてはならない。机の前と左右の3面はアクリル板で仕切っている。放課後に遊びに行くことも自粛しろと言われている。

720人いる学校でたった3人、感染症に罹っただけでだ。

学年で1人だけのために、修学旅行が中止になることなんてあり得ない。

これが異常でなくて一体なんなのだろうか?

一刻も早く通常に戻すのはワクチンとか感染者数とかではなく、科学的に考えればいいだけなのだ。

短い人生。時間は有限。

楽しく生きる道を選択しないとね。

個人の自由と新型コロナ対策をトレードオフする価値は無い

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この世の中、すべて陰と陽の相対する2つのカテゴリに分類ができる。

そして、どんな選択も常にそのトレードオフで成り立っている。

新型コロナ対策も同じだ。個人の自由と新型コロナ対策のトレードオフが今おこなわれている。このトレードオフが等価交換であれば文句はない。しかし、すべての新型コロナ対策は個人の自由と引き換えるに値しない。

そもそも本当の新型コロナ対策は、「自分の免疫力を高める」ことだ。免疫とは抗体だけではない。例えば基礎体温を高める。デブにならない。これらは糖質を摂りすぎないことに繋がるわけだ。食生活を改善するだけでも免疫力はかなり変わってくるだろう。運動をするとかも基本的な話になる。鼻水や咳も免疫システムの一部なので、こういった反応を薬で止めたりしないことも免疫力を高める上で大切なことになるだろう。ちなみにマスクをしても免疫力は高まらないし、ウイルスの侵入を防げもしない。全くもって無駄な対策なのだが、それでもしたければ勝手にすればいい。それは個人の自由だ。

国や地方自治体レベルで言えば、もし新型コロナでバタバタと人が死んで人口減少が加速するなら少子化対策をしないといけない。

それに経済不安によって失業者が増えるなら、仕事を生み出さなければならない。今潰れていく仕事は本来必要じゃなかった仕事なのだから、そんなものを守っていても仕方がない。やるなら農業従事者を増やすべきだろう。これには少なくとも2つの効果がある。1つは都市部の感染症に対する脆弱性が露見しているのだから、地方に人を移住させられて感染症対策になること。もう1つは30%を切る日本の食糧自給率を高められることだ。

こういったことが本当の新型コロナ対策だし、為政者が今やるべきことだろう。この国を強くして、後世に残そうという理念や美学が政治家から感じられないのは誠に残念だ。

感染者数を抑えることに関して言えば、日本は島国なので封じ込めることが可能だ。国内をゼロにして、外から絶対に入れないようにする。そもそも去年、日本に侵入を許さなければこんなことにはなっていなかったのだが、今も昔も無能政府なので、当然今後も封じ込めには一切期待はできない。

そして(ここからが本題なのだが)、封じ込める為には個人の自由とトレードオフしなければいけない。個人の自由と引き換えに得られるものが一体なにか?これがとてつもなく重要だ。

新型コロナ対策をして得られるものは一体なにか?はっきりと言って、それは何も無い。なぜなら被害が無いからだ。

日本人口のうち1%ぐらいが毎年亡くなっている。そのうちの80%以上が高齢者。これは人間が生き物である以上、避けて通れないことだ。2020年に亡くなった人は約138万人いる。そのうちの0.27%が新型コロナで死んだ人とされた。新型コロナ死亡者のうち90%ぐらいが高齢者。つまり、例年起きていることと特段変わりはないのだ。

新型コロナがあろうとなかろうと人間はいずれ死ぬ。新型コロナが新生児や乳幼児、10代や20代の若者でバタバタと死亡者が出ているなら、封じ込める為に個人の自由とトレードオフする価値はあるだろう。だか、実際はそうではない。

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こんなものに個人の自由を差し出すほどの価値は無い。

人生は暇つぶしなのだ。

有意義な暇つぶしをすることを考えれば、新型コロナ茶番劇に乗っからない方が良いのだ。

大阪府の新型コロナ対策は無能なマネジャーがする仕事のお手本

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新型コロナ対策は本当に無能なマネジャー仕事そのものなので、反面教師として学べることは多い。

大阪では、まん延防止等重点措置で飲食店への規制を強化している。営業時間の短縮。マスク会食の実質義務化。CO2センサーやアクリル板の設置。見回り隊を組織。要請を守らなければ罰金。(よく飲食店は怒らないで大人しく従っているなと思う)

こういった対策はすべて、感染拡大に対してクリティカルにヒットするものではない。

なぜなら、そういった対策をすることによって新型コロナウイルスに感染しなくなるわけでは全く無いからだ。感染しなくなる証明もされていないし、比較検証もされていない。CO2センサーを設置しても、なんの意味もない。どうでもいい指標がモニタリング出来るだけだ。監視管理だけを強めて、守らなければ罰を与える。

まさに無能の極みのような施策なのだが、これを営業組織で例えてみよう。

 

成約件数を上げたくてマネジャーがこんなことを言い出すわけだ。

「よし!明日から1件でも成約件数を伸ばすために勤務時間を3時間延長するからな!みんな頼むぞ!!」

「さらに考えたんだが、商談中は常に笑顔でいろ!自分だけじゃないぞ。商談相手にも笑顔でいさせるんだ!笑顔が一番だからな。それにだな、iPadを買って商談中はテーブルに置いておけ!なんか出来る奴っぽく見えるからな。あと、ストップウォッチを買って商談時間を測っておけ!いいな!」

「で、お前たちがちゃんと3時間延長して働いているか、あと商談中に常に笑顔か、iPadを置いているか、ストップウォッチで計測しているか、チェックするために見回り専門のチームを作ることにした。もし、そのチームが見回った時にやっていないことがわかったら、査定に響くからな!わかったな!」

まぁ、これぐらいにはくだらない対策なのだ。

どれも全く重要なKPIではなくて、本当にどうでもいい。ただ、監視管理したいだけ。

優秀なマネジャーであれば、「なぜ成約が取れないのか?」だけをシンプルに突き詰めていく。

新型コロナウイルス対策でいえば、新型コロナウイルス感染者をとことん突き詰めていくわけだ。今はそこに感染者がいてもいなくても関係なく、飲食店は無意味に規制されてしまう。マスク会食やアクリル板の効果は科学的根拠もない。CO2センサーでCO2をモニターしても、新型コロナウイルスに感染するかどうかは一切関係ない。

どれもやってる感じなだけなのだ。

極め付けは、それを監視して、守らなければ罰を与えるという無能がよくやる施策だ。

マネジャーとして、こうはなってはいけない。

無能から学ばない奴はもっと無能なのだから。

人生最期の仕事を決めている男は凄い

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今の自分はなぜ存在しているのか?

とある、一流の職人の話を聴かせて頂いた時のことだ。

その職人は世界的にも有名で、その人に会うために、その人の卓越した技で作られた物を得るために世界中からその人の下へ訪れる。

スーパー親分なその人には弟子も何人も輩出していて全員が一流と認められている。今でもたくさんの弟子を面倒見ていて、これからも一流の職人を輩出していくだろう。

そのスーパー親分は日本の人口減少、少子化を非常に危惧している。このままでは衰退しか道がないからだ。なので、会う若者には「3人は子ども作らないとダメだよ!」と必ず伝えている。

職人には「弟子は3人は輩出しろ」と伝えている。最近は弟子を抱えずに自分だけで仕事をして、それなりに儲けて、俺は凄いんだ!と勘違いしている奴らが多いとスーパー親分は言う。

「今のお前がいるのは師匠に教えてもらったからじゃないのか?それなのになぜお前はその技を、文化を、哲学を次に伝えていかないのか?お前が次に伝えていかないということは、お前で流れを堰き止めてしまっているってこと。それでは少子化と同じで衰退するしかないんだぞ」と、そう熱く語る。

 

サスティナブルって言葉がある。

持続可能性というやつだ。例えば地球の資源、植物。この植物の身体は何でできているのか?根っこから吸い取ったものではなくて、実は空気中の二酸化炭素の炭素で出来ている。空気からできた植物を草食動物や虫、はたまた人間が食べる。植物を食べて、炭素を取り込んだ動物はその炭素で身体を作る。動物もまた何かに食われたり、食われずに細菌の力で朽ちてしまったりする。

朽ちた動物の肉の炭素は土となり、海に流れて、やがて空気となり、また植物に帰ってくる。

本当の意味でのエコ、つまりは生態系という意味でのエコサイクルとはすでに完璧までにサスティナブルにデザインされているのだ。

質量保存の法則、等価交換の原則、これを無視しないからこそのサイクルだろう。

どこかで淀んだり、止まったり、減ったりしてはいけないのだ。

スーパー親分はこれを地で理解している、これまでの人生経験で本能的に掴んでいる人だから凄い。

「このままではいかん。滅びるだけだ。そう職人たちに言っても『そんなこと言われても僕は他所の人と繋がりもないから、知らない人たちのことなんて構っていられないです』と言われて誰も動かない。だから、俺は次世代が技術も文化も継承していける仕組みを作る!それが俺の最後の仕事だ!」

凄い。もう60歳を過ぎているのに、誰よりもエネルギー溢れている。ここまで成功した男が、まだこれから最期のデカい仕事に取り掛かろうとしている。それも次世代が発展していくための仕事に。

弟子のため、子どものため、孫のため、そうやって素晴らしい世界を作り、託そうとする男は、男の中の男だなと感じた。

勝つ人は「人間は変化を拒む生き物」だと知っている

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大阪で蔓延防止重点処置が適用されるそうだ。

つい1ヶ月ほど前に緊急事態宣言が解除されたのだが、飲食店に対する時短要請はずーっと続いている。

大都市での飲食店時短要請は解除される見込みは無いぐらいに思った方がいいだろう。

そうなると飲食店は夜を捨てて、朝から夕方までに飲食を楽しむ新たなスタイルを提供していかなければならない。

もしくは、本当に美味しい料理を作れるお店であれば、大都市を捨てて郊外に移転するのも良いかもしれない。

ただ、この1年を見てわかるように、それほどに大都市への人口集中は変わっていないし、企業はオフィスを捨ててもいない。

結局、人間は変化を拒む生き物なのだ。

新型コロナ茶番劇で劇的な変化が少しあったと思う。テレワークだの、WEB会議だの、夜は大人しく家に帰るだの、そういった変化だ。しかし、元に戻ろうする力が大きく働いているようなそんな気がする。

ビジネスで勝つ人はそういった人間の習性をよくわかっている。大衆が変化を拒む生き物だと理解しているので、それを無理にどうこうしようともしない。

ただ、自分たちはいち早く変化していく。例えば飲食店でいくと「朝ディナー」とか、昼に夜のコース出したりとか、物販始めたりとか、そういった変化を起こして勝つ流れを作っている。自分たちが変化を起こしても、その他大勢は変化をしないことがわかっているので、勝ちたい放題なのだ。

当然、「朝ディナー」を始めたところで大半の人は利用しない。これを利用する人も「勝つ人」が利用するだけで、大衆は変化を嫌うのでそんな新たな食のスタイルを受け入れたりしない。なので、後発組は苦しむ。なかなか顧客を獲得できないからだ。ただ、アーリーアダプターの後に必ず大衆たちが少しずつ動き出す。これは「皆んなやってるから俺もやってみよう」という奴隷根性だ。

勝つ人は、大衆の心の変化が起きることも知っている。

で、大半の人が市場に参加した時には、先に変化を起こした人は不動の地位を築き上げているわけだ。

もちろん、先に変化をすれば大変なことも多いし、失敗するかもしれない。

しかし、後発組になるよりも、いち早く変化して失敗するなら失敗してしまった方がいいのだ。それも勝つ人は知っている。

人間は変化を拒む生き物なのだから、あえて自分はその逆を行ってみる。

この新型コロナ茶番劇では特に大事な行動指針だろう。

政治家は何の役にも立たないようなので、自分で変化を起こすしか道はないのだ。