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ネガティヴ人間とポジティブ人間のどちらが良いか?-中編-

ネガティヴ人間、ポジティブ人間は相対的な感覚か?


「ここまで来たら行くでしょ!」

雨の高野山で仲間が発した言葉だった。
トレイルランニングという山走りを趣味にしていた私は、高野山から熊野大社までを最短距離でつなぐ小辺路という道を走り出そうとしていた。
だけど、この日は生憎の雨で、それもかなり降っていた。
時刻は夜の10時。
条件はかなり最悪な上に熊の出没情報もあった。
言い出しっぺの私だったが、正直今回はやめてもいいと考えていた。
万が一で死ぬかもしれないからだ。
一緒に走るのは私よりも一回り年上の男性Aさんと女性Bさんの2人だった。

「どうする?」という問いかけに、
「いや、いくっしょ!」と明るい返事をしたのがBさんだった。

人のタイプの分け方はいくつかある。
そのうちの代表的な例が、ネガティヴかポジティブかだ。

私自身はかなりポジティブな性格で、楽観的な思考に基づいて思考を組み立てていると思う。
多分、私を知っている多くの人が私のことをポジティブ人間だと認知していると思うし、自分でもそう思うのだ。
あまりアレコレと未来のリスクを考えても意味がないと思っているので、「とりあえずやってみる」が地である。

ただ、人間は相対的な感覚で物事を考える生き物だ。

なので、私よりもポジティブな人と一緒にいれば、その人から見れば私はネガティヴに見えるかもしれない。

あの時の高野山に居た私はきっとネガティヴな人間だっただろう。

 


人間は自然と役割を演じる。
チームでポジティブなリーダーがいれば、メンバーは相対的にネガティヴになる。
逆にリーダーがネガティヴなら、メンバーはポジティブになる。

10人のチームのメンバーをポジティブとネガティヴに区別するとしよう。
自分はポジティブ。
Aさんはポジティブ。
Bさんはネガティヴ。
Cさんはネガティヴ。
Dさんはポジティブ。
といった具合だ。

 

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これは私の主観で見た時の区分であって、ほかの人がやった場合に必ずしも同じになるとは限らない。

私は地がポジティブな人間なので、他の人がネガティヴに見えがちだからだ。
Hさんが区別した場合には、もっとポジティブな人が多くなる結果もある。
ただ、誰がやっても必ずポジティブにいる人間、ネガティヴにいる人間もいる。

 

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つまり、こんな感じの分布になっているのだ。
この場合、Aさん以外から見るとAさんは常にポジティブ人間に区別される。
逆にAさんから見ると自分以外全員はネガティヴに見えるかもしれないし、Eさんまでがポジティブに見えるかもしれない。

 


チームのバランスとか、チームワークをより良くと考えた時に、リーダーからの視点だけではなく、それぞれの視点から見た時にどんな分布になっていてるのかを考えると、より1人1人の思考が理解しやすくなる。

ポジティブの極にいる人間やネガティヴの極にいる人間を、バランスを考えてチームから排除したとしても、また別の人間がその極の役割を演じることも忘れてはならない。

 


ポジティブかネガティヴかは相対的なものでありながらも、どちらかというとポジティブだったりネガティヴだったり、その人それぞれの地がある。

それはどうやって決まるのか?
そして、ポジティブとネガティヴのどちらが良いのか?
後編で決着を着けようと思う。

 


つづく