人は自分の信じたいものを信じるための行動しかとらない
「仮説思考」という言葉がビジネスではよく使われる。
「こうなんじゃないだろうか?」という仮説をもって、課題を発見し、解決していくようなアプローチ方法。
例えば、「夏になれば暑くなるので生ビールの消費が伸びる。生ビールを飲むのは中年男性が多いから、そういったターゲットに向けた広告宣伝を行うのが効果的じゃないだろうか?」みたいな感じだ。
で、これが本当にそうなのかをデータを見て判断しないといけないのだが、この時に問題が起きる。
人は自分の信じたいものを信じる生き物だし、人は自分が正しいと信じたい生き物なのだ。
なので、データを見る時に自分の仮説が正しいという正解ありきで数字を引っ張ってくる。
数字なんて恣意的に弄ろうと思えばいくらでも弄れる。どう切り取るかだけで、簡単に右にも左にも転がせるのだ。
普段から数字見ている人には小細工は通用しなかったりするが、そんなリテラシーのある人なんて1万人に1人ぐらいなものなので、大体がバレない。
恣意的に作った資料とかがバレるバレないはどうでも良いのだが、自分の正しさの証明のためにデータを見ていると、真実と違う答えに行き着いてしまう。例でいくと、「夏の生ビールの消費が増えるのは中年男性ではなく、実は若い女性グループだった」とかだ。
データを見ればすぐに分かることだし、若い女性グループが伸びると分かったなら、そっちに舵を切ればいいだけの話だと思うだろうが、多くの人がここで舵を切れない。自分の間違いを肯定できないのだ。
なので、中年男性の消費が増えている証拠集めを必死に始める。で、自分が正しいことに納得して、広告宣伝で大失敗する羽目になる。
こういったことはふっつぅーーーーーに日常のありとあらゆる場面で行われている。
企業の人事だって、上司が信じたいものを否定してくる奴は昇進しない。
科学者だって、自分の信じる結果が出てくるように研究結果を出してくる。それに資金提供してくれる国や企業の信じたいものを否定するような研究結果は出せない。それは資金提供側が信じたいものを信じるための行動しかとらないから、否定するような結果を出す科学者にはお金を出さなくなる。
こんなのは当たり前の話で政治だってそうだし、どこまでいってもそういった仕組みで回っているのだ。
なので、ニュートラルポジションがとても大事。
なにかの「ファクト」とされるものに触れる時には、自分自身はニュートラルポジションでその物事を視るようにしなければいけない。
このファクトを出してきた人物は何を信じている人なのか?が、とてつもなく重要。
そのファクトにまつわる歴史はどうなっているのか?を知ることも、めちゃくちゃ大切。
そういったことも全て踏まえた上で、情報や物事に触れる癖をつけておかないと、有意義な人生の暇つぶしはできない。