プラス、マイナス、ニュートラル。そういう視点で物事を視る癖づけ
正しさに固執しない。
これはとてつもなく重要なことだ。
例えば新型コロナ茶番劇。
新型コロナは本当に危険なのかどうか?
危険だという立場。
それほど危険ではないという立場。
両方の視点から視ることが出来るかどうかということだ。
つまり、ニュートラルなポジションに立てるかどうか。
ワクチンはどうか?
接種する価値があるのかないのか。
リスクはあるのかないのか。
効果はあるのかないのか。
どちらの立場でも視る癖をつける。
ワクチン推進派がこんな事を言っていた。
「ワクチン接種後に死んでいるのは殆どが高齢者だ。ワクチン接種後に死んだけど、それはたまたま寿命で死んだかもしれない。ワクチンとの因果関係は認められない」
たしかにそうかもしれない。
人間は70歳も過ぎれば死んでいく生き物なのだ。
ただ、同じことは新型コロナで死んだとされる人にも言える。
新型コロナで死んだとされる人の80%以上が70歳以上の高齢者だ。
では、なぜワクチン接種をそもそもしなければいけないのだろうか?という疑問が出てくるわけだ。
この表は大阪府で発表された新型コロナ死亡者の内訳だ。
ほとんどが高齢者で、基礎疾患があって、「コロナ関連死」とされている。
ワクチン接種でこの人達の命が助かるのは素晴らしいことなのかもしれないが、そもそも人間は70歳も過ぎれば死んでいく生き物。
ワクチン接種でそれが防げるとなれば、では、いつ人は亡くなるのだろうか?
新型コロナ陽性反応さえ出ていなければ死んでもOKなのだろうか?
この42名のうち、何名がワクチン接種していれば助かったのだろうか?そして、その人達はその後いつどんな死因で亡くなるのだろうか?
これほどまでに社会生活を制限して、ワクチン接種をおこなってまでやる意味があるのだろうか?
誰かの正義は、誰かの悪なのだ。
これは常にそうだ。
立場が変われば正義と悪はいくらでも入れ替わる。
反ワクチンも親ワクチンも例外ではない。
人間はいつか必ず死ぬのだ。
ニュートラルに視て、自分の頭で考えて生きよう。