無能な奴の有能な者への道のりは己がカスさを知りて1歩目
唐の時代にインドまで経典を取りに行ったことで知られているお坊さん。
彼は地球1周半ぐらいの距離を16年かけて旅した。
罪を犯して国を脱出して、灼熱の砂漠で死にかけたり、極寒の雪山で死にかけたり、道中の王様に処刑されかけたり、山賊に襲われたり、せっかく集めた経典をインダス川で船が転覆して失ってしまったり、まぁとにかく大変だった。
そんな大変な旅を16年もして、中国に帰った後、死ぬまでの19年間を翻訳作業に費やした。
彼が翻訳した般若心経や大般若経は今でも我々がその恩恵を享受できる。
まさに全身全霊の命をかけた事業だったのだ。
そんな玄奘はインドへ旅立つ前には、手に入る書物は読み尽くしていて、非常に優秀な僧として人気だったらしい。
話はガラッと変わって、つい先日のこと。
こんな相談というか愚痴を聞いた。
その人は優秀な営業職の女性。
同僚の仕事のできない男性達から「女はいいな〜」といった節の妬みを言われたそうだ。
営業で結果を出しているのが、女を武器にしているからだと思っているらしく、自分の方が実力は上だと勘違いしているぐらいに馬鹿らしい。
ちなみに女性は25歳ぐらいで男性は30歳前半だ。
まぁ、そんな事を言ってる時点でマジでクソ野郎なので、本当にどうしようもないのだが、問題は本人達がそれに気付いていないところだ。
「俺も女だったら」
「俺もお前の役割だったら」
「今よりもっと結果出せているのにな〜」
こういったセリフはいわゆる他責思考ってやつだが、こればっかりは本当にどうしようもない。
自分の責任で物事を考えられないのでいつまで経っても最長がない。
まぁ、そもそもがカスで無能な人間なのに、さらには可能性の中に生きてしまっているので、救いようもないのだが。
ただ、この男たちだけがカスで無能なわけではなく、まぁ世の中の人間というのは大体がそんなものなのだ。
それなのに、「自分は成功するかもしれない」とか「こうすれば大物になれる」とか考えているのが本当に無謀なのだ。
三蔵法師玄奘のように死ぬほど勉強して、中国では学ぶことが無くなり、翻訳された経典ではなく原典に当たりたいと思い、命をかけた旅に出て、その後死ぬまでの20年近くをかけて翻訳作業に没頭する。
そんな事ができる人が成功を手に出来るし、偉人になれる。
なので、自分はそもそもカスで無能なのだと気づかなければ、学ぶこともしないし、経験値を増やそうともしない。自分がカスで無能だと気づかなければ、ただただ他人を羨み妬み、足を引っ張り、不幸を喜ぶだけの人生になってしまう。
アドラー的に言えば他人の人生を生きているというやつだろう。
自分の人生を生きるには、まずは今の自分はそんなに大した奴じゃないことを知ることから。
そうしないと何も変わらないのだ。