なぜ日本語が読めない人がいるのか?
「日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない」
日本人の3分の1は日本語が読めない、それでも先進国のなかでは優秀という事実[橘玲の日々刻々] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
もちろんこれは識字が出来ないという意味ではない。読解力が無いということだ。
演繹や帰納が理解できない論理的思考力が低い人たちはなぜ生まれてしまうのか?
また、そこに書いてもいないことを勝手に生み出して、それが正しいと思い込み、書き手が書いてもいないことを書いていたかのように押し付けてくる輩はなぜ生まれてしまうのか?
それは、感想や意見と事実を分けて考えられないからだろう。
この画像の例だと「砂糖って甘いんだよなぁ」が書いてある事実で、それ以上のこともそれ以下のことも書かれていない。
そこに書かれていること以外は読み手の感想や意見なのだ。
日本が読めない人は自分の意見や感想がすべてで、それだけが正しい世界だと考えているのか、書き手の事実に自分の意見や感想を勝手に組み込んでくる。
「砂糖って甘いんだよなぁ」を読んで、どんな感想や意見を持とうがそれは読み手の勝手だ。
ただ、それは自分の意見や感想なのであって、他人は違うかもしれない。というか、他人と一致することの方が珍しいだろう。
そんな自分勝手なものを書き手に押し付けるから、日本語が読めなくなってしまうのだ。
書き手は読み手の感想や意見を書いているわけではない。
これはとてつもなく重要だ。
事実と感想や意見をごっちゃにしている人は会議でも、商談でも、ビジネスの色んなシーンでマジで邪魔になる。
報告してくることはどこまでが事実でどこまでが意見なのかわからなくて意味不明だし、提案してくることはボヤっとしていて何を話しているのかよく分からないので相手に刺さらない。
事実と自分の意見や感想は分けて考える。
そうしないと日本語が読めない残念な奴になってしまう。