体験の機会を奪われた社会は共感を失う
Twitterで発見した一枚の画像。
本当にこんな社会になっているので笑える。
この画像を見た瞬間に「マトリックス」を思い出した。
人間はバーチャルな世界で生きていて、現実では人間電池として機械の養分になっている。
「マトリックス」まではいかないにしても、どうやら私たちの社会でも体験の機会をすっかりと奪われてしまったようだ。
奪ったのはサピエンス全史で言うところの想像上の秩序ってやつだろう。
まだ完全に奪われてしまったわけではないが、まだまだこの流れは進んでいくだろう。
これからどんどん人間の共感力はなんとも貧相なものになるだろう。
例えば、富士山を見るとする。
実際に行って見た富士山は間違いなく富士山。
だけど、スマホやパソコンで見た富士山は、実は富士山を見ているのではなくて、実際に見ているのはパソコンやスマホの「画面」なのだ。
2人で現地で富士山を見れば、2人ともが同じ富士山を見ている。
だけど、それぞれの家でそれぞれのスマホやパソコンで見ていれば、見ているのはそれぞれ別の画面を見ているだけなので、同じものを見ることはない。
同じものを見る。
同じ場所にいる。
同じことをする。
同じ音を聞く。
同じ味を味わう。
こういった同じ体験をすることで、人間は「気が合う」という絶妙な感覚を養っている。
この感覚が失われていくとどうなるのだろうか?
人と人との関係性はどう変化していくのだろうか?
私たちが共感から得られている価値とはなんなのか。
今こそ考えたい価値だと思う。