人生は暇つぶし

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分析とは比べること

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多面的に見るという話の中で、お米を「穀物」、「乾物」、「野菜」として考えてみることを書いた。
それぞれの時でお米と比べるものが違っていた。
穀物の時は、小麦や玉蜀黍(とうもろこし)など。
乾物の時は、切り干し大根や乾燥ワカメなど。
野菜の時は、白菜や大根など。

それぞれのカテゴリーに属するもので「お米」を比べてみると、よりお米というものがどんなものかがわかった。

これがもし比べるものがなかったら、お米の特徴はわからないだろう。

なぜなら人間は相対的に物事を認識する生き物だからだ。

 


お米の色が白いのが特徴だと思うのは、玉蜀黍が黄色く、ワカメが濃い緑だから。
これがもし全てのものが白かったら、白いことは特徴にはならない。

炊く前のお米が硬いと感じるのは白菜の葉っぱと比べたら良くわかる。

そうやって人間は物事を比べることで、何が違って何が一緒かを認識して、その対象物や事象の特徴をより正確に掴める。

 


そうやって比較することを「分析」と呼んだりする。

 


この分析が上手く出来る人は鋭い知覚と思考があるといえる。つまりは高い知性を身につけている人だ。

上手い分析とはなにか?

それはどんな風に何と何を比べているのか?だと思う。

「お米」を穀物と比べるだけなのか、乾物や野菜と比べるのか。
栄養素だけで比べるのか。重さや大きさや香りや味や触感、音でも比べるのか。

切り口の多さもそうだし、正確な認識を得るために必要な比較をしているのかどうか。

これが上手い分析とそうでないものとの分かれ目になるだろう。

 


例えば、「米粒は小さい」と言う人がいる。
たしかにカボチャに比べれば小さいが、ゴマに比べれば大きい。
つまり「米粒は小さい」は正確な認識ではなくて、主観的に見た、一面に過ぎないのだ。

これは屁理屈とかではなくて、ビジネスの現場では非常に大切になってくる視点だ。

「あの新製品は人気が高い」みたいな認識で社運をかけた販促を仕掛けたりすることが本当にあったりする。
じゃあ、マーケット調査しとみようとなっても、幅広い知識もなくて、因数分解も足りず、多面的にも見れない人がマーケット調査した結果を見ても、「米粒はカボチャよりも小さい」ぐらいの話しか出てこないのだ。
こういう人は本当にいるし、それも稀というわけではない。

なので、分析的に物事を見れるだけでビジネスで活躍できる人になれたりする。

活躍できる人の第一条件は「高い知性があること」。
高い知性とは、幅広い基礎知識、それに基づいた知覚と思考、俯瞰して見る能力、因数分解できる能力、多面的に見る能力、そして分析的思考。これらのことがグルッと結びついて高い知性が得られると思う。

こういった能力の基礎地は社会人になってから作るのではなく、やはり幼少期や10代のうちの体験、経験、気づきから磨かれていくものだろう。