人生は暇つぶし

人間の一生はただの暇つぶし。どうせ暇つぶしするなら、より楽しく、面白くすれば幸せ!そんな暇つぶしのための「心技体」をシェアしているブログ。毎朝8時更新!

知らないことを知らない罪深さ

f:id:ryoyoshida:20210630014052j:image

先日、とある器の骨董品屋に伺った。
器の知識などまるでない私が見ても、どれが良いか悪いかも判断がつかないものだった。

店主に話を聞いてみるのだが、なにを聞いていいやらわからず、器の魅力がよく分からずじまいで店を出た。

結果、「というかどれが骨董品かどうかもよくわからん」となった。

そんな話を私の食の先生でもある鮨屋の大将に話すと骨董品の器について、入り口だけ教えてもらえた。

f:id:ryoyoshida:20210630013937j:image

例えばこのお猪口。
古いものから新しいものまで入り混じっていて、骨董品ではかなり価値のあるものまで並んでいる。

先生は「どれが古いものか選んでみなさい」私にと問題を出してくれた。

私は見事に最初は間違える。
半分ぐらいは骨董品だと思って選んだのだが、「選んだ中から古いのは2つだけ、選んでない方にもまだ1つある」とヒントをもらい、なんとか正解を引き当てられた。

先生も骨董品なんて最初は全くわからなかったそうだ。
貧乏だったがために、骨董市などで安く手に入る皿を買わなければいけなかったところから、骨董品への道が始まったそうだ。

当然、周りに骨董品のことを教えてくれる人なんていなかった。
だけど、今では「なんでも鑑定団」で予想がほぼほぼ当たるぐらいにまで価値がわかるほどに目利きができる。

周りに教えてくれる人なんていなかった。
これまでに失敗もたくさんしてきて、恥もたくさんかいて、その度に色んな人に聞きまくったらしい。
自分が無知であることを認めて、隠すことなく学んできたのだ。
最初から正解を教えられるんじゃなくて、そういった無知を知る体験から自身の知覚を鍛え、思考を磨いてきたからこそ、今では周りの料理人からも尊敬される人になったんだと感じた。

たまに器でも分かった気になって話して、自分の知識の間違いに気づきもせずに偉そうに話す奴もいるそうだ。
そんな奴はそのままでは一生成長しないだろう。

無知の知」という言葉がある。
無知である事を知るという意味で、哲学の父ソクラテスの言葉だそうだ。

無知なことよりも、無知であることを知らないことの罪深さ。

そして、無知の知によって、鋭い知覚と思考が得られることがわかった。

骨董品の世界って素晴らしい。