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料理は知的成果物でもあると知る #美食学のすゝめ

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料理は知的成果物でもある。

一流の料理人から話を聞いているとそう思える。

 

なぜそうしたのか?

どうしたくてそうしたのか?

 

ひとつひとつの工程にこの質問を投げかけていく。

そこには必ず理由があって、目的がある。

 

例えば、鮨のコハダ。

コハダを因数分解してみる。

シャリとネタに分かれる。

 

シャリはなぜその味なのか?

シャリはなぜその温度なのか?

シャリはなぜそのサイズなのか?

といった分解ができる。

 

コハダも同じく分解する。

なぜ酢で〆ているのか?

なぜ塩をするのか?

なぜ洗うのか?

なぜ骨を取るのか?

なぜ開くのか?

なぜ鱗をとるのか?

 

もっと分解できるだろうけど、兎に角ひとつひとつの工程に根拠があり、どうしたいのかという1つのゴールがある。

そのゴールがつまりは美味しさなのだが、この因数分解がそもそも出来ていないとその人の料理は必ずどこかで手詰まりになる。

 

というのは、因数分解できた分だけ変数が生まれるので、味の変化をつけられるわけだ。

なので、どれだけ多面的に、多角的にその食材や調理を分解できるかも味に関わってくる重要な料理人の腕・技術と呼べる。

この因数分解力は深いインサイトが無いとうまれない。知覚と思考、つまりは知性による仕事なのだ。

 

そして、因数分解した要素を増やしたり、減らしたり、無くしたり、入れ替えたり、真逆にしたり、組み合わせたり、真似したりなどの変異プロセスでエラーを出しながら自分の思う味に近づけていく。

 

変異プロセスにどんなストーリーを入れ込むかも料理人の知性と感性がモノを言うところだ。

例えば、歌舞伎や落語から引用してくるストーリーがあってもいいし、歴史的背景や地政学的なものでもいい。トレイルランニングをしているので自分が山で取ってきた山菜とか湧水とか。

大阪でお店をしていれば比較的全国各地の食材が手に入りやすい物流拠点で、恵まれた環境だといえる。だからこそ、あえて地のもので良いものを手間暇かけて調達するのもストーリーなのだ。

貝であれば、貝塚から縄文人を連想して、縄文時代にドングリを煮炊きして食べていたストーリーを加えてみても面白い。

変異プロセスにその料理人のオリジナリティが出るわけだ。

 

因数分解にしても、変異プロセスにしても、ストーリーにしても、どれもが知的な仕事に違いない。

豊富な知識と経験、鍛えられた知覚や思考、知性に基づいた繊細な仕事によって作られた料理は、誰がどう考えても知的成果物なのだ。

 

それを知ることで、食べる側は「なぜ?どうして?」を完成した料理を味わってから、因数分解して考えていく。

それが一流の美食家だろう。