「徹底的にパクる」ことは学びの基本。パクられて怒る奴はバカ
真似をすることは学ぶことだ。
これはどんな世界でもそうだろう。
子どもは親を見て、真似をする事で学ぶ。
動物も親を見て学んでいるので、完全隔離された環境で育てられると鳴き声のパターンも変わってしまうことが分かっている。
スポーツも音楽も料理も真似をする事で学びが始まる。
ビジネスなんかでも「徹底的にパクる」ことはキホンのキだ。
「真似をする」というのは実際の経験が伴ってくるので、そこが一番素晴らしいところであり、難しいところでもある。
例えば料理。
この人と同じ料理を作りたいな〜と思って、真似をして作ってみても同じ料理にはならない。
徹底的にパクろうとしても、パクらないのだ。
スポーツも音楽もそうだろう。
徹底的にパクろうとしても真似ができない。
それは技術力や知覚、思考、感性が違うからだ。
何が違うんだろう?
どうして真似できないんだろう?
そこのギャップを埋めていく事が学びになるのだ。
で、たまにパクられて怒る人がいるのだが、あれは全く理解ができない。
徹底的にパクられてしまっているのであれば、それはそもそも大したものではない。凡庸なものなのでパクられても仕方がないのだ。
パクられたくないのであれば、誰にもパクられないぐらいに凄いものにすればいい。
ただ、自分自身の知識や思考はそもそも誰かが思い付いたものとか作り上げたものからパクったものなので、全くのオリジナルなものではない。
それを自分自身のオリジナルなものだと考えてしまい、自分はいいけれども他人はダメとする考え方がクソなのだと知った方がいい。
むしろ、パクられることに誇りを持った方がいいと思う。
そもそも価値あるものでないとパクられないし、自分のものが一番素晴らしいなら価値もあがる。
パクることを否定して学びを止めてしまうのは勿体ない。
自分なんていない。自分のものなんてない。
そう考えれば世界は大きく広がるな〜。