普通に売上は上がってるんだが?まだマイナスぶっこいているところは商売センスないんじゃね?
なんかこんな戯言を言ってる人をTwitterで見かけた。
ワクチン接種が世界最速で進むイスラエルですが、経済再開を進めているにもかかわらず新規感染者数が減少してきています。
これが日本の数ヶ月後の姿でありますように。
マジで馬鹿なのか?なんにも見えてなさ過ぎて心底驚いた。
色んな商売人と毎日の様に話しをしていて感じているのは、自分自身もそうだけど、今の状況を正しく見えている人はいないということ。
「イスラエルが経済再開を進めている」と、こいつは言ってるんだが、じゃあ日本はどうなのよ?
経済再開進めてないのか?いや、普通に前々年よりも成長しているところいっぱいあるんだが(笑)
なんか、未だに日本国民は皆んな自粛していて、消費は動いてなくて、経済的に皆んな困窮しているよね〜みたいな幻想的な被害妄想に取り憑かれた奴らが多くて驚く。
まぁ、たしかに一部ではコロナ禍でやられてしまったままの商売センスがゼロな奴らもいるだろう。
「コロナが終息したら」を合言葉に、今この時を何の努力もせずに過ごしている奴ら。
むしろ、そんな奴らの商売は全て無くなってしまえばいい。国からの支えなんていらないよ。あとで負担するのが馬鹿らしくて仕方がない。
そんなあっても無くてもどっちでもいい商売なんて支援しなくていいから、今でも必要とされていたり、人々を楽しませていたり、困った人々を助けていたりする商売をよりサポートした方がどれほどに有意義なことか。
日本なんてワクチン接種しなくても新規感染者はピークアウトしたし、59歳以下の死者数はわずか3%だし、20代の死者数なんて400万人に1人だし、普通に人は出歩いてて買われるべき商品サービスは買われているのだ。
これは日本とイスラエルの新型コロナ新規感染者数の推移。
イスラエル | 消費者物価指数(CPI)変化率 | 経済指標
いつまでもコロナ禍でマイナスだ!という幻想を抱いてないで、さっさと普通に楽しく仕事したほうがええぞ。
どうせ人生は暇つぶしなんだから。
グローバルダイニングの弁明書を読めばコロナ禍が茶番劇だとよくわかる
いい加減に茶番劇に終止符を打つ時だ。
東京都は時短要請に正当な理由もなく従わないとして、グローバルダイニングに対して弁明書を提出する機会を与えたそうだ。笑
そもそも要請に従わない事に対して、正当な理由も弁明もクソもあったもんじゃないが、まぁそれはグローバルダイニングの弁明書を読んでもらえれば良くわかる。
弁明書で指摘されている、コロナでの死者といわれている若年層の死者数。
20代3名。30代16名。40代57名。
たったこれだけなのだ。
20代は約1200万人いるので、400万人に1人しか死者が出ていない。
これはモデルナの新型コロナワクチンで極小数しか出ていない重いアレルギー反応のさらに10分の1しかいないわけだ。
モデルナ社ワクチンの重いアレルギー反応、 400万人中わずか10人 米 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
若者が自粛する意味があるだろうか?
若者にワクチンを打つ意味があるだろうか?
マスクつけて過ごす意味があるだろうか?
常在菌を殺しまくる手指の消毒を異常な頻度で行う意味があるだろうか?
飲食店が時短営業する意味があるだろうか?
はっきり言って全く無い。
それでも医者はワクチンを勧めるし、新型コロナ怖い怖い宣伝はやめない。
なぜなら、それが商売だからだ。
その売り方が何かに似ているな〜と思ったら詐欺とか悪徳商法にとても良く似ている。笑
詐欺師とか悪徳商法のセールスマンは、とにかくあの手この手を使って碌でもないクソみたいな商品を売り捌く。
売る戦法はなまじ良い商品を売る会社よりも上手いので、クソみたいな商品でもたくさん売れたりする。
オレオレ詐欺とか円天とか布団とか詐欺不動産投資とかネットワークビジネスとか、まぁ商品は色々ある。
とにかく悪い商品ほど売り手は「この商品は素晴らしいですよ〜」と宣伝する。宣伝しまくる。クチコミを使ったり、権威を使ったり、さまざまな手法を使ってくる。そうしないと売れないので仕方がない。
ワクチンの売り方も本当にそういった布団とかネットワークビジネスとか詐欺不動産投資とかに良く似ている。
新型コロナビジネスを続けるというか完成させるためには、まだまだ飲食店や若者には悪者になっておいてもらわないと困るわけだ。
基礎疾患もなく、太ってもいない健康的な人間が新型コロナ発症だけで何人死んだのだろうか?
そもそもPCR検査陽性=感染でもないし、発症でもないわけで。
もうこの無意味な茶番劇をそろそろ終わりにして、有意義な人生の暇つぶしを始める時が来た。
本当にそう思う。
新しいことを伝えるってのは考えさせるってこと「堀江貴文×東浩紀」の対談を聞いて
仕事で部下やチームメンバーに新しいことを伝えても、一部の人間には全然伝わらないことってまぁまぁある。
そんな時、なんで伝わらないんだろ?こいつら馬鹿なのか?いやいや伝わらないのは伝え手の責任だ•••と悩まされることは多い。
実は「伝える」よりも「考えさせる」ことで新しいことは伝わるのかもしれない。
「5行以上の文章」が読めない日本人?インターネット時代の言論【東浩紀×堀江貴文】 - YouTube
「人って自分が想定していることしか分からない」
堀江貴文氏と東浩紀氏がNEWSPICKSで対談をしている動画での、東浩紀氏のコメント。
このコメントに同意した自分がいて、同意した自分を俯瞰して観て、さらにこの言葉がその通りだと思わされる。
想定している事しか分からないから、新しいことを伝えても伝わらない。じゃあ、人は新しいことをどうやって知るのだろうか?
1つは言葉を知るってことだと思う。例えば辞典を読んで言葉を知ると、概念が増えて、世界の解像度が上がっていく。
言葉を知る他には、既存知識同士を組み合わせることで新しいことを知ることもできる。これは「知る」というよりも「気付く」と言った方がいい。伝えられた物事から新しいことを知っていくには、こちらの方が都合がいい。話を聞くときに想定できることが増えるからだ。
「伝わらない」という現象が起きるのは、聞き手に想定ができていないから。なので、新しい事を知っていくためにはより多くのことを想定できる能力が必要。より多くの事を想定するというのは、本来関係ない物事を組み合わせる能力が無いと無理。
だから、本来関係ない既存知識を組み合わせて気付きを自ら得られる人は新しい事を知る機会も多いし、想定できる事も増えて、伝え手の話からより多くの事を知れる。
例えば新商品の説明を聞いたときに、商品のメリットデメリットや実際に販売する時のセールストークなんかを考えられる人は色んな質問が生まれてくる。新商品のメリットデメリットを考えられるのは既存商品と比較しているから気付く事ができる。セールストークが考えられるのもこれまで使ってきたトークスクリプトと新商品を組み合わせられるから作れるわけだ。
考えられない人は、そもそも新商品が一体なんなのかが伝わっていない。人間は相対的にしか物事を理解出来ないので、なにかと比較しないと新しい物事が何なのかがわからないのだ。だけど、そういった事を想定していない人には伝わらない。
ここで「考えさせる」が出てくるわけだ。
色んなものと比較したり、組み合わせたりして、新しい物事のディテールを作り上げていく。その作業をする時間を作る。なんなら考えるサポートもする。
なぜなら、新しい事が伝わらない人は、言葉を知る努力もしていないし、既存知識の新しい組み合わせを思考する事もしていないのだから、自分自身の力で考える事が難しいからだ。
いやはや。しかし、これ書いてて恐ろしくなった。
人生の暇つぶしに使える時間は皆同じぐらいだけど、何に使うかで怖すぎる程の差が生まれるもんだな。
有意義な暇つぶしをする為にも、言葉を知ることと新しい組み合わせを考えることに時間を使っていかないとね。
有能と無能を分けるものってなんだろう?
こんな問いをしてみた事はあるだろうか?
「私は有能か?私と仕事を共にする仲間は有能か?」と。
そもそも有能と無能の違いってなんだろうか?
人間は所詮、相対的にしか物事を見れないので、有能も無能も相対的な評価に過ぎない。だけど、どこに行っても無能な奴はいる。残念ながら。
「イシューからはじめよ」で著者の安宅さんは仕事とは「力×距離」の変化であると記した。これは物理学における仕事ではあるけれども、なかなか的を射ていて、私もとても好きな表現。
有能は変化を生み出す。無能は変化を生み出さない。
有能は大きな変化を生み出す。無能は小さな変化しか生み出さない。
有能はプラスの変化を生み出す。無能はマイナスの変化を生み出す。
多分こういうことだろう。じゃあ、どんな奴が有能とされる変化を生み出すのか?
まずは行動する事、手を動かす事が重要なのだが、「やる気のある無能」ほど厄介な奴はいない。こんな奴はマイナスの変化を生み出したり、小さな変化しか生み出さないので、頑張っていても残念ながら無能とされてしまう。
行動しなければ変化は起こせないが、すればいいというものではない。
たくさんの無能とされる人を観察していると、わかることがある。無能な奴は総論を言われただけでは具体的な自分の行動が理解・予測できない人間なのだ。あらゆるパターンの各論をいちいち説明してあげないと、具体的な像をイメージできない。なので、総論だけ伝えられて仕事を任されてもスタックする。何をすればいいのかがわからないのだから、それは当然だ。
なぜ総論を伝えられるだけで、あらゆるパターンに応用できる人間がいるのに、それができない人間もいるのだろうか?
これは因数分解の粒度に起因している。
例えば「面白いストーリーを作ろう」という問いがあれば「面白い」を分解するわけだ。
「面白い=ミステリー×コントラスト」だとする。これが第一層。無能がここに行きつけばまだいい方で、多くの無能はこの因数分解すらしない(笑)。
次にミステリーとコントラストをそれぞれ因数分解する。「ミステリー=不気味さ×時間制限」、「コントラスト=幸せ×不幸」とか。まぁ、この辺はなんだっていいのだが、これが第二層。そうやって第三層、第四層と因数分解を続けていくと、面白いストーリーが具体的に見えてきて、何をすればいいかがわかる。
無能な人はこれができない。有能な人は短い時間で深いところまで因数分解をしてしまう。頭の回転が早いと呼ばれる人は瞬時に第四層とか第五層とかまで因数分解をしている。
無能な人がなぜ因数分解をできないのか?そういうトレーニングをしていないからといえばそうなのだが、それだけではない。トレーニングしなくたって出来てしまう人はたくさんいる。こういった因数分解を出来ない人、深く掘れない人は結局のところ言葉を知らない。だから、世界を粗く観ているので、因数分解の粒度も粗いところで止まる。無能を集めて因数分解トレーニングをしてみても、深く掘っていけなくて、第二層ぐらいで手詰まりになる。普段からざっくりとしか物事を理解していないし、細かく見ようにも物事を分解できる言葉(概念や知識)がないので、不可能なのだ。
無能な司令官の下では、どんな有能も役立たない
有能と無能の違いとはなんだろうか?
宇宙戦艦が戦ったりするのだが、本質は人間対人間の思考戦、権謀術数だったりする。
アニメの第1話で無能な指揮官が率いる同盟軍と有能な指揮官が率いる帝国軍の戦いが描かれている。
無能な指揮官は有能な部下の助言を無視して、まんまと敵の術中にハマり、玉砕する。有能な部下までもが死んでしまう。
一方で有能な帝国軍指揮官は有能な側近が助言するまでもなく、見事に劣勢を覆していく。この有能な司令官にも無能な部下が何人かいて、途中でそのうちの1人が指令を無視して、これまた玉砕してしまう。それもまた有能と無能を対比して描かれているので面白い。
本当に司令官が無能だと有能ですら無能になってしまう。逆に司令官が有能であれば無能ですら有能と評価される。
無能とは組織が生み出すもの。そうなのかもしれない。
では、有能な指揮官の命令を無視して爆死した無能はどうだろうか?彼は命令に従いさえすれば無能にはならなかった。
そういえば「やる気のある無能 やる気のない有能」なんて話があった。これはゼークトというドイツ人の軍人が語ったとされる組織論を元にした話だろう。
「やる気のある有能」
「やる気のない有能」
「やる気のある無能」
「やる気のない無能」
この4タイプで組織に必要ない者は誰か?多くの人は「やる気のない無能」を一番必要ないと考え、その次に「やる気のない有能」を選ぶ人も少なくない。会社だと大体がその順番で切られていく。
ゼークトの組織論では、「やる気のある有能」は参謀に、「やる気のない有能」は指揮官に、「やる気のない無能」は命令を忠実にこなす駒に向いているとしている。
そして、「やる気のある無能」は組織に置いていてはいけないと断言している。たしかにこんな奴は命令を無視して爆死したりするし、「やる気のある有能」な部下の助言を無視して爆死したりするわけだから、たまったもんじゃない。
もはや、やる気のあるなしが無能か有能かよりも重要になっていることがよくわかる。
「無能な司令官の下では、どんな有能も役立たない」というアッテンボロー(銀河英雄伝説の登場人物)の名言に言葉を付け加えるとしたら、「やる気のある無能な司令官の下では•••」となるだろう。
そういえばバンドオブブラザーズという第二次世界大戦を舞台にしたドラマでは、E中隊という優秀な兵士たちの部隊にダイクという「やる気のない無能」な指揮官がコネで着任して、ナチスドイツ軍にフルボッコにされてしまっていた。有能な参謀がいればどうだったのだろうか?どちらにしても無能は指揮官に就いてはダメなようだ(笑)
まぁ、人生は所詮暇つぶし。
やる気があればいいってもんじゃない。
無能だからダメってわけでもない。
だけど、有能な方が暇つぶしは楽しめる。
「正しさ」こそが争いを生み、人生を無駄に過ごす
アベンジャーズシリーズの「シビルウォー」を観たことがあるだろうか?
世界を救う(笑)ヒーロー同士が戦ってしまうお話だ。正義と正義がぶつかり合うなんて、そんなことおかしい!って感じがするかもしれないが、実はどんな争いでも正義vs正義なのだ。
人間の歴史には「絶対的な善と絶対的な悪の戦い」なんて存在しない。実はすべて主観的な善と主観的な善との争いでしかない。後世が振り返れば(まぁ、それもニュートラルポジションではなく、誰かの都合のいい側から見た場合だが)一方的な侵略戦争であっても、侵略する側は自分こそ正義だと信じているものだ。
ビジネス上でもチームで意見が割れたり、ガチンコの争いになったりする時は、どちらもお互いの正しさを譲れない時に起こる。
まぁ、人間が怒る時は往々にして自分の正しさを主張したい時なんだけど。(もしくは、自分が完全に間違えている事を自覚しているけど、相手に無理矢理に認めさせるために怒る)
自分の正しさを捨てられた時は争いは起きない。ニュートラルポジションでフラットに物事を考えられるから。
そもそも正しさなんてものは、常に一面でしかない。コインの裏か表かはどちらでもいい。どちらにしてもそれはコインでしかなくて、一元のものなのだ。
なんの彫刻もないただただツルツルのコインをみて、こっちの面が正しい面だ!と主張しているとすれば、それはとてつもなく愚かな人だ。実は「正しさ」なんて全てそれと同じで浅はかさなことなのだ。その浅はかさを知れば、二度とそんな事は言えなくなるだろう。
そして、いかに自分の人生を無駄にしているかよくわかる。
やはり、人生は楽しく面白く爽快に暇つぶしをしなくてはならない。
なので、正しさに塗れている場合ではないのだ。
他人を操る事はできない。操れるのは自分だけ
人間にコントロールできるのは自分の行動だけだ。
それが理解できていない奴は、自分の大切な時間を他人を操ることに使おうとする。
どう頑張っても他人を変えることはできない。もし他人を変えられたと思ったならそれは勘違いだ。それはあなたが変えたのではなく、相手が自ら変わったのだ。
これが理解できず他人をどうにかしようと頑張るのが愚かな人間の性でもある。
例えばビジネスの場で、チームのメンバーがどうもやる気が無かったり、商品理解をしなかったり、数値目標を掲げなかったりするとしよう。簡単に言うと無能だと思えるメンバーがいたとする。
これを愚か者は教育してなんとかしようとしたり、ミーティングで諭そうとしたり、まぁなんか色々と他人を変えるために努力しようとする。
ハッキリ言っておくと、これらは全て無駄だ。
まず、そうやって他人を自分の都合の良いように変えようとする奴は、そうされる側に信頼されないし好かれない。
なぜならそいつらは自分たちが無能扱いされて批判されていると感じるからだ。
人は無能扱いされることを嫌うし、反発してくる。その反発も「じゃあ、やってやろうじゃねーか!」という反発であればいいのだが、大抵はそうはならない。
「なんでそんな事をお前に言われなきゃならねーんだよ!」ってなるわけだ。
こうなるともうちょっとやそっとでは修復不可能だ。
いくら教えられても、憎しみの感情しか湧いてこなくなる。
で、なんとかしようとしている側も「なんでコイツらはこんなにも変わらないんだ。俺はこんなにも頑張って教えてやってるのに!」となる。
まぁ、本当にどっちも報われない。
じゃあ、どうすればいいのか?
まず、その無能だと思われる人達が有能だと感じられる場所で戦わせる必要がある。
仕事を変えるのか、役割を変えるのか、はたまた業務の一部だけを担わせるのか、それはその仕事やチームに応じてすればいい。
それが出来ないのであれば、達成すべき目標のハードルを下げてあげればいい。
そして、ちゃんと達成できるように陰ながらサポートすればいいのだ。
必ずその無能だと思われる人たちを承認して、有能な扱いが自然とされる場所を用意する。
他人を操る事は出来ない。そんな事をしていては大切な人生の時間を無駄に使ってしまうことになる。
もっと楽しく面白く爽快なことに自分の人生の時間を使わないともったいない。
人生は暇つぶしなのだから。
「コロナが終息したら」では人生の暇は有意義に潰せない
「コロナが終息したらパーティでもやろうというのかね?」
恐らくそんな未来はやってこない。待っているだけでは絶対にやってこない。誰かがこの「自粛」という同調圧力を破らなければ、いつまで経っても「コロナが終息したら」を合言葉にした、くだらない人生を送らなければいけない。
そもそも人間は密な状態を嫌う動物なのだ。
一度、空間を広げたり、ソーシャルディスタンスをとったりしたら、なかなか元には戻せない。
なので、いつまで経っても「みんな我慢しているんだから」という同調圧力のもとで、面白みもない、くだらない人生を送らなければいけない。
同調圧力に屈しているのが当たり前の世の中を子ども達に見せてしまっていることが情けなくて仕方がない。どいつもこいつもマスクして歩いてるなんて本当に異常な光景。
「コロナが終息したら」ではなくて、どんな環境下でも楽しく面白く人生の暇つぶしができるように、決して同調圧力には屈してはいけないのだ。
自分の常識は誰かにとっての非常識が理解できない奴は面倒臭い
信じられないが、自分にとっての常識が他人の常識でもあると考えている人間がいるようだ。
村上春樹氏はSNSを見ない。理由は大体において文章が上等じゃないから。まずい文章を読むことに価値はない。そりゃ本当にその通り。無色透明な水にコーヒーを少しでも垂らせば、水はたちまち濁る。一旦濁るとその濁りをとるのは容易ではない。まずい情報を取り込むのも同じこと。一度取り込んでしまうと脳みそも体も濁ってしまう。テレビなんかを日常的に見てると頭がアホになるのは当然。そういった頭がアホになる情報が流れているものは見ない方がいいというのは成る程と思える。ひとつの意見として、村上春樹氏はそう考えているんだなと納得ができる。自分がどう思うかは別として。
それに対して「もったいない」という意見。SNSにも上質な文章があるし、他にも写真とかも綺麗なやつがあると言うのだ。確かにそれも間違いではない。だけど、わざわざSNSで村上春樹氏がそれを探す意味はあるだろうか?村上春樹氏は「大体において」と述べているわけだから、少数のそういった上質なものがあることも考慮して、見ない事に越したことはないと言っているわけだ(笑)。
このもったいないと感じる人にとっては、SNSで上質な文章などに触れることはとても価値のあることなんだろうけど、村上春樹氏にとっては無駄なのである。
それを理解できずに自分の常識から考えて「もったいない」と発言してしまう、こういう人間はどうやら自分の常識は世間の常識であると考えている。
他人と付き合う上でこういう「自分は正しい」とか「自分は常識人」と考えている奴は本当にタチが悪い。悪いことをしているとわかっててやっている奴よりも面倒臭い。
自分の常識を押し付けてきたり、自分の正義で他人を攻撃したりするからだ。
ビジネスでそういう人間がチームにいて、上の立場なんかだとすると同調圧力が生まれる。同調圧力が生まれるとものすごく陳腐化が加速してしまったり、自由な発想や意見が出てこなくなったりする。なんせ、みんな空気を読んでそいつの常識で物事を考えようとしてしまうから。
それに限らず、どんな立場でも自分の常識は他人の非常識。他人の常識は自分の非常識だと思っていた方が人生楽しく暇つぶしができるのでオススメ。
バカ丁寧なSlackを送る暇があるなら働け
Slackとかで「お疲れ様です」とか、「何卒よろしくお願いします」とか、送ってくる奴は時間を無駄にしている。
「お疲れ様です。お忙しいところ失礼しますが、ご存じであればお手すきな際にご回答お願いできますでしょうか?先程クライアントからお問い合わせがありまして、新しくローンチしたものがうまく動作していないようです。こちらでも原因を究明中ではありますが、もし何かお分かりになられればと思い、質問させて頂きました。お手数をおかけして申し訳ありませんが何卒よろしくお願いします。」
冗談では無く、こういう文章がバシバシと飛び交っている。打つ時間も無駄だし、読む方も文字数増えて無駄になるし、無駄しか生まない。
そして、そういう無駄にバカ丁寧なSlack送ってくる奴は、文書も無駄に丁寧な言葉遣いで打ってくる。読みづらくてイライラする。
簡潔に書いて送れよ。
なぜ簡潔に書いて送れないかのかというと、マナー警察みたいな奴に嫌われるのを避けたいからだ。
「こんな文章送ったら失礼な奴って思われるかな?冷たい奴って感じちゃうかな?マナーが分からん奴って思われる?え?え?ヤバいかな?」という自己保身でアホみたいな文章が出来上がるわけだ。
実際にマナー警察みたいな奴は1人はいる。しかし、絶対に大多数ではない。試しにチームの人間にヒアリングをすれば大抵がこう答える。
「いや〜、私は全然適当な感じで送ってこられてもいいんですけど、他の人は嫌がるかなと思って」と。
これはマジで他人を気遣っているように見えて、実は自分を守っているだけ。簡単にいうとクソ偽善者。こういうクソ偽善者が増えるとどんどん組織内の同調圧力が高まっていき、失敗できない環境が生まれ、そのチームや事業のイノベーションが起きなくなり、一気に陳腐化が始まり、衰退が起きる。
なんの得もないので、バカ丁寧なSlackを送る暇があるなら働いた方がいい。
【クレクレ君】他人を動かすなら対価を支払え【貧乏思考】
他人に何かを頼むであれば、それに対して報酬を支払うのは当たり前。
そんな事も理解できない奴らがTwitterにはたくさんいるので、日本が貧乏になるのも仕方が無いのかもしれない。
なぜ日本企業は賃上げを抑制するようになったのか 先進7カ国で最下位 - 弁護士ドットコム
平均年収では韓国よりも低くなった日本。みんな他人の時間と労力を平気で奪っている。そして、それを至極当然の事だと主張するから困ったものだ。
私がツイートした内容の根拠を示せと言ってくる輩がいた。根拠を示すのがあなたの責任でしょ?というのだから、本当に頭が悪すぎて笑えてくる。恥ずかしくないのか?それぐらい自分でまず調べろ。そう言ったら「調べたけど分からなかった」と言ってくるわけだが、アホなのかと。それはお前の調べる能力が低いだけの話。そんな見ず知らずの低能な奴のために私がなぜ働かなければいけないのか?
私が根拠を示すために費やした労力と時間に対して、何の見返りも私には用意されていないのに、どこの誰かも知らん奴が勝手に押しつけてくる責任とやらを果たさないといけないらしい(笑)。
そもそも私が根拠を示したところで何になるというのだろうか?
他責思考のクレクレ君は自分が物乞いしてるとも気付けないほどに頭が腐っているので、自分はそうはならないように生きようと思う。
会社で能力低いな〜という奴は総じて本を読んでいない
「こいつ使えないな〜」とか、「こいつ思考レベル低いな〜」とか、「言葉知らんな〜」とか、「考えていること薄いな〜」って奴らは、まぁ本を読んでいない。
物事を知らないし、言葉を知らないので、そいつが見ている世界の解像度がめちゃくちゃ粗い。
なので、特に非定型の仕事では全くと言っていいほどに使い物にならない。
「〇〇の売り上げが伸びない要因を見つけておいて」みたいな仕事を依頼すると、まぁスタックするし、浅くてしょうもない答えしか出てこない。
本に全ての答えが書いてあるわけではないが、物事の考え方や深掘りの仕方を学べるし、言葉を知ることで、その言葉が持つ概念をインストールできるので、より世界を細かく具体的に洞察できるようになる。
マジで本は読んだ方がいい。会社の上司よりも絶対に成果を上げている人が書いているので、ハゲの使えないサラリーマンからよりも数万倍学べる。それもたった1000円、2000円程度で。
本読んでない奴らの方が多いし、本を読んで書いてあること実践していくだけで、組織の中で有能扱いされる。
これほどコスパのいい自己投資があるだろうか?
【最近見つけたアホの話②】秋刀魚の塩焼き食った奴も新型コロナPCR検査陽性の奴もワクチン打った奴も全員いつか死ぬから
本日も暇つぶしに最近見つけたアホの話でも書いてみる。
新型コロナワクチン打った後に一定割合が死ぬことを、秋刀魚の塩焼き食った奴のうち一定の割合が死ぬって話と同じだよね〜という話法。
これ、新型コロナのPCR検査で陽性反応が出た後に死ぬ人が一定割合いるのも一緒。因果無しで死んでる奴もいるわけ。
さらに言えば車でも死ぬし、餅でも死ぬし、因果ある無し関係なく一定割合で人は死ぬ。
突き詰めていけば、結局は人間最後は死ぬんだから、そもそもワクチン打つ必要なくね?ってなるわけ。
そもそも日本で、新型コロナのPCR陽性判定後に死んだ人は約8000人。59歳以下に絞れば(かなり多く見積もって2割で)1600人しかいない。日本人口でいうと25万人に1人。
それっぽっちしかいないにも関わらず、それを効果もないワクチンだけをあーだこーだと言ってるのがマジで笑える。
3人に1人以上がワクチン接種しているイスラエルで、こんな程度。日本の自然減と変わらないかそれ以下の効果に止まっている。日本で新型コロナで死んだかどうかもわからない人が少数しかいないのにワクチンの効果なんてたかがしれている。それを躍起になって、情弱だけを騙せるアホな理論を発信しているアホがいるのが日本のスバラシイところだと痛感。
【最近見つけたアホの話①】分析の基本も理解していないのに比較できているつもりのアホ
暇つぶしに最近見つけたアホの話をしてみる。
賢明な読者はぜひこういったアホにならないようにしてもらいたい。
そのアホはこんなことをツイートしていた。
数字がまともに読める人や、分析とはなんたるかを知っている人であれば、こやつがいかにアホか良くわかると思う。
一見、同じ基準で示されたようなこれらの数字は、ま〜ったく関係の無い数字を並べている。こういったアホな比較を見た時に、ただただ「新型コロナワクチンのアナフィラキシー」が20万分の1であることが少ないかを言いたいがための意味のない比較だと気づけるかどうかが、アホに騙されない賢明な人間になれるかどうかの境目であろう。
インプットする情報をニュートラルポジションで見れるかどうかが重要なわけだ。
そもそも比較というのは、母数が同じでなければ比較にならない。このアホの比較だと、例えば「肩こりに悩む人」と「スノボで骨折」などというのが、「日本国民のうち」とか「世界人口のうち」とか「東京都民で」とか、母数を揃えないことには何の意味も無さないわけだ。
これを揃えなければ、「新型コロナワクチンのアナフィラキシーは少ない」という結論を伝えるために、都合の良い数字をいくらでも出せる。
分析をする時に比較する数字の軸を揃えるのは基本中の基本であり、どれだけ無能であってもこれだけはできることである。
この軸を揃えない奴はただの詐欺師であって、どうやら医者にこういう輩は多い様だ(笑)
まぁ、まともに数字を読めない日本人が腐るほど多いので、こういう詐欺師に騙される奴がたくさんいるのがまた笑えるところ。日本が本当に救いようのないカスな証拠だな〜とよくわかる。
ちなみに全日本人口のうち、59歳以下で新型コロナウイルスPCR検査陽性反応が出たのちに死亡した人は25万人に1人である。
まぁ、アホにはわからん数字ですな。
【転職】プレイングマネジャーなんてクソ役職がある会社は組織として無能だからやめておけ【就活】
就職しようとしている会社でプレイングマネジャーなる役職がある会社はやめておいた方がいい。
そんなクソ役職がある会社は組織として無能な会社なので、機能不全に陥っている可能性が高いし、十中八九で組織としての成長が止まっている。
そもそもマネジャーの仕事とは何か?マネジメントとは「調整」をすることなのだ。全体最適化を図り、人的リソースはもちろん、時間、金、ツールや設備を目標達成のために最適化できるように分配、調整するのが役割だ。
このマネジメントが機能しなければ組織としてのまとまりは無くなるし、合理化も出来なくなるし、どいつもこいつもプレイヤーなので、組織としての成長は良くも悪くもプレイヤーレベル止まりとなる。
例えば営業組織でのプレイングマネジャーは、部下と同様の数字目標を持っている。自分の数値目標を追いかけながら、部下の数字も達成させなければならない。これをするとどうなるか?
プレイングマネジャーが数字を達成する場合は部下から「あいつばっかり良い案件を取っている」と妬まれ、逆に数字が達成しない場合は「口ばっかり偉そうに言って、自分は全然営業力ねぇじゃん」と思われる。それなら全員同じぐらいの数字になるように調整したりすれば優秀な人材が会社を辞めていく。
つまり、良いことがないわけだ。
さらにプレイングマネジャーには決裁権も余り与えられないことが多い。特にお金が使えないパターンだとチームとしてやりたい事ができなかったりする。これも由々しき問題だ。
そして、人材の成長、組織の成長も止めてしまう問題もかなり深刻だろう。プレイングマネジャーになれるぐらいの人材なので、それなりに優秀に違いない。酷い組織だと、30人束ねようが50人束ねようが100人束ねようがプレイングマネジャーやっているところもあったりする(これは嘘の様なマジな話)。それほど優秀な人材に昨日今日入ってきた新人と同じ仕事をやらせるのもプレイングマネジャー制度のクソなところである。もう笑けてくるだろう。
これでは組織として成長しないのは当然のことだ。
例えば30人の組織であれば2人組の組み合わせが何通りになるかご存じだろうか?
これはなんと435通りにもなる。
この組織をマネジメントしようとした時に営業数字を追いかけながらできるなら、聖徳太子も驚きの能力を身につけているに違いない。
逆を言えばそれほど優秀な能力を本来割くべきところに投下せずに無駄に使ってしまっているとも言える。
HUNTER×HUNTERに登場するヒソカがカストロ戦で呟いた一言。
「キミの敗因はメモリのムダ使い」
まさにこれだ。
プレイングマネジャーなんてクソ役職がある会社ではムダ使いされて優秀な人材が腐っていってしまうのだ。