マインドマップっていいツールだな〜って話
トニー・ブザンという超絶優秀な人が考案した思考の表現方法だ。
こんなやつ
私は1人で何かを考える時にはまずこれを使う。
とりあえずのブレストでも、考えが整理されていくし、MECEになっているかもわかりやすい。
思考を直感的にそのまま書き出していけるのもいいところだ。
ビジネスチームでも、KPIツリーを作ったりするのにも使えるし、業務フローの棚卸しや課題発見、課題解決方法を決める時にも使える。
結構、どんな時にも使えてしまうのがマインドマップだ。
1人の時は紙に書き出している。プロジェクトペーパー(私はA3を使っている)を使うと捗る。
電車とかの移動中だと、Xmindのアプリを使っている。こいつも直感的に使えるので凄く重宝する。ヌルサクで動いてくれる。
ビジネスチームで共有する場合は、ブラウザで使えるMindMeisterを使っている。共有した人、全員で編集ができるので、PCで操作するならこれもおすすめだ。スマホアプリは使いづらい。
どうやってマインドマップを書けばいいかはググってくれれば分かると思う。
脳内会議するよりも絶対に良いアウトプットができるはずなので、ぜひ使ってみればいいと思う。
子どもに「勉強しなさい」という親ほど勉強していない事実
「ゲームばっかりしていないで勉強しなさい」
親が子どもに言うお決まりの台詞ではないだろうか。
(私の個人的な意見としてはゲームばっかりしてても一向に構わないのだが)そもそもなぜ子どもがゲームばかりをしてしまうのだろうか?
勉強しなさい!と頭ごなしに言う前に立ち止まって考えてみたい。
ゲームが楽しいから。
理由はこれに尽きるわけだ。
ゲームよりも勉強、というか知識をつけ、知性を磨き、技術を高める行為をして欲しいと望むなら、ゲームよりもその楽しさを感じて貰えばいい。
とある骨董品を扱う器屋さんに訪れた。
そこは一流の料理人たちが通う器屋さんで、全国に名が知れ渡る名店だ。
私は「器の魅力や価値を一般的に広め知ってもらうにはどうすればいいのか?」と尋ねた。
店主は「例えば美味しいものを食べた時に使われていたお皿が凄く綺麗で感動したみたいな体験があると入りやすい」と答えてくれた。
そう。興味関心を持つ「体験」が大切なのだ。
それも主体的で主観的なものだ。
そういった体験から磨かれるものは面白がる力であり、楽しむ才能だと私は思う。
美味しい料理を食べた。お皿が綺麗だった。
また美味しい料理を食べた。なんかお皿がイマイチだった。
「あれ?この感覚なんだろ?」といった体験から器への興味関心が高まり、もっと学んでみたい、知ってみたい、より良い体験をしてみたいという知的欲求に変わっていくのだ。
ゲームよりも勉強が楽しく、面白く、もっと学んでみたい、もっと知ってみたい、もっとできるようになりたいという欲求が沸いてくれば誰もが自発的に「勉強」というものをするのだろう。
その楽しみ方や面白がり方、魅力や価値を子どもに伝えるのは間違いなく親なのだ。
では、親は勉強を面白がり、楽しんでやり、魅力や価値を知っているのだろうか?
もし目の前で親が楽しそうに学んでいる姿を見ているのであれば、子どもがそのことに興味を持たないはずがないのだ。
親が子どもの前で、スマートフォンでゲームをし、SNSをし、YouTubeを見て、テレビでバラエティやドラマを見ているだけでは、子どもが勉強を楽しむわけもなく、興味すら持たないのは当たり前なのだ。
「ゲームばっかりしていないで勉強しなさい」
それは子どもよりもむしろ大人の方なのだ。
適切な手段をハイレベルに実行できる能力 その3
適切な手段をハイレベルに実行できる能力とは、
課題を発見し、課題を解決する能力のこと。
前回まで課題発見能力について書いてきたので、
今回は課題解決能力について書く。
課題解決能力とはなにか?
・どうやって課題を解決するかの方法を考える能力
・その方法を実践できる能力
この2つだと私は考える。
コンビニをはじめて、1日来店目標100人に対して10人しか来ないとして、
どうやって90人増やすのか?を決めるのが一つ目の能力だ。
チラシをまくのか?
ネット広告を利用するのか?
店前で呼び込みをするのか?
商品を割引して販売するのか?
友達にクチコミをお願いするのか?
色々な方法があるけれども、なるべく最短で低コストで最高の成果を上げたい。
仮にチラシをまくと決めたとする。
じゃあ、どんなチラシをどれぐらい、どの地域にいつ誰がどうやってまくのかを決めないといけない。
これも当然、なるべく最短で低コストで最高の成果が上がるようにしたい。
その方法が決まったとして、今度はそれを実際に行動に移さなければいけない。
自分でチラシを作るとして、ハイクオリティなチラシが作れるのか?
自分でチラシをまくとして、予定枚数を期限までに配り終えれるのか?
こういったことが2つ目の実践能力だ。
ビジネスの現場では常に、目標を設定し、現状を把握し、目標と現状のギャップから課題を発見し、その課題を解決するための施策を考え、その施策を実践するというサイクルが回っている。
このサイクルをハイレベルに実行できる本質的な力は、幅広い知識と、それに裏付けされた「鋭い知覚によるインプット」と「細かい因数分解や多面的に物事をとらえる思考によるアウトプット」と、そもそも自身が設定しているビジョンなのだ。
適切な手段をハイレベルに実行できる能力その2
月に行くと決めた時に、どうすれば月に行けるんだろうか?と考える。
今の自分達は空を飛ぶことは出来ても、宇宙空間にはいけない。
それは何故か?どうすればいけるのか?
飛行機ではいけない。
宇宙空間に抜け出すための、ロケットが必要だと気付く。
色々と実験を行い、検証して、トライアンドエラーを繰り返す。
そうするとどんどん研ぎ澄まされていき、月に近づいていく。
ビジョンを設定する。
自分たちの現状を把握する。
課題に気付く。
課題を解決する。
目標達成までは、こういった流れになるだろう。
これまでにビジョンの設定だとか、現状把握については書いてきたので、今回は「課題に気付く」と「課題を解決する」、つまりは課題発見能力と課題解決能力について書く。
課題発見は現状把握がハイレベルにできれば、自ずとできるようにも思う。
全体的に俯瞰して見て、因数分解を行い、多面的に把握し、so whatを繰り返す。
これで課題は発見できるはずだ。
例えば、コンビニを始めた。1日にお客さん100人来るのが目標。現状は10人しか来ない。ギャップは90人。
じゃあ、そのコンビニは街のどんな場所にあるのか?
そもそもその街はどんな街なのか?
コンビニのポジションはどうなのか?
それをそれぞれ細かく因数分解していく。
街の人口は1万人。店の前を歩く人は1日に100人だったとする。
そうするとファクト認識から課題は自ずと見つかってくるわけだ。
この場合だと、店の前を歩く人は1日に100人しかいないので、その全員がお客さんとして来店してくれないと目標達成できない。
しかし、そんなことは滅多に起こり得ないことなので、なんとかしないといけない。
課題は、「店の前を歩いている人以外の人にわざわざお店に来てもらうこと」になる。
決して「店の前を歩く人を200人にすること」ではない。ここで間違える人は基礎教養が足りていないので、もっと知覚と思考を鍛えないといけない。
で、わざわざ店に来てくれる人を増やす施策をハイレベルに発案し実践できる能力が課題解決能力といえる。
課題解決能力については、次回に詳しく書く。
適切な手段をハイレベルに実行できる能力
土地があるから、ホテルとかなんかで活用して儲けたいみたいなことを言って、始めて、大失敗するパターンはよくあるそうだ。
そもそもどんな要素でその能力は決定されるのだろうか?
適切な手段を選ぶ能力
1.現状把握能力
今の状況を正確に把握できる能力はなくてならない要素。現状認識、ファクト認識が正しくできていなければ、目標との距離が掴めない。目標との距離が掴めなければ、正しい課題が見えてこない。正しい課題が発見できないので、正しい課題解決方法を考えられないし、実践できることもない。いわゆる「イメージで語る」や「肌感で伝える」みたいなもので、定量的な数字で一切語らないことをする人はビジネスの現場でもいる。
2. 分析能力
ファクト認識に必要な能力でもあるし、課題発見に必要な能力でもあるのが分析能力。分析とは比較すること。AとBを比べることを分析と呼ぶのだが、ビジネスの現場で比べることをしない人が本当に多い。イメージで語る人たちは定量的なデータを持っていないので比べられない。結果、なにが正しい課題なのかもわかることがない。
2つのリンゴを手に取って、「なんか右のほうが重そう」みたいな感覚でビジネスジャッジをしている人がいるって書くと信じられないことのようだが、本当にいるのだから現実は恐ろしい。
なぜ重量計を使わないのか?
それはそういったトレーニングをしてこなかっただけなので、10代のうちに経験しておきたいことだ。
正しく現状把握をし、分析ができれば、ボトルネックが発見できる。
ボトルネックが発見できれば適切な手段は自ずと見えてくるはずだ。
手詰まりを起こさない人生を送るためにやるべきこと
10代でそういった出会いができるかがとてつもなく人生で大事なことだとオッサンになってから思う。
暇つぶしに読むといい人類史が学べる書籍
自分とは一体何者か?を知りたくなる時がある。
それを知る手掛かりはたくさんあるけど、中でも人類史はとても役に立つ知識だと思う。
つまりは人類とはなにか?を知る行為が、自分とは何者か?を知る行為に繋がるのだ。
人類とは一体どういったものなのかを知るのに良い本がいくつかあるので、サクッと紹介しておく。
人体600万年史(ダニエル・E・リーバーマン)
人の体は一体どんな特徴があるのか?を教えてくれる最高の一冊。
なぜ現代人は2型糖尿病になったり、肥満になったり、腰痛や肩こりに悩まされたりするのか?
それは人間らしい生活を送っていないからなのだが、その答えがこの一冊で語られているので必読。
この本を読んだ後に、「サピエンス全史」や「銃・病原菌・鉄」を読めば良いと私は思う。
学ぶというのは年齢とか経験とか関係ない
10歳年上だろうが。
10年経験が長かろうが。
こいつは凄い!と思ったり、
この技術はヤバい!と思ったら、
頭を下げて学ぼうとする。
そういう人が一流になるんだろうし、
そういう人ほど一流だったりする。
自分はすごいとか、
自分は極めているとか、
自分が正しいとか、
そんな事を思っている奴はクソなのだ。
まぁ、そんなことを思っている一流に出会ったことがないのだが。
学ぶのには年齢も経験も関係なくて、そういうものを捨てている人ほど一流なのだな〜と思う。
引き算の美学
もうこれ以上無くすものがない物は素晴らしい。
究極にシンプルにデザインされたものはいつまでも生き残る。
なので、今あるものから何かを取り除いて、よりシンプルにデザインするのってめちゃくちゃ難しい。
付け足したり、入れ替えたり、大きくしたり、組み合わせたり、そういうのよりもあるものから何かを削るというのは中々良いものが思いついてこない。
簡単に思いつけば、もっと世の中にはシンプルにデザインされて長く使い続けられているもので溢れているはずなので、難しいのは当たり前なのだが。
なんでもいいから無くしてしまうのは簡単だけど、無くした事によってより良くならないと意味がない。
これを1日1個でも考えるのは物凄い頭のトレーニングになるな〜という発見だった。
よい偶然を必然的に起こせるか?
"世界レベルでの経済的な危機として、コロナ禍の直前に起きたのは2008年の金融危機でした。これを予測していたナシーム・ニコラス・タレブ氏は、著書『ブラック・スワン』において、予測不可能な状況で「よい偶然」を利用して成果を得るには、試行錯誤を増やすこと、小さな失敗を許容することが重要であると説いています。"
https://sakestreet.com/ja/media/sake-industry-after-corona-virus-pandemic
いつの時代もそうかもしれないが、今は産業革命レベルの革命がものすごい短いスパンでやってきていたり、世界がヒトモノカネ&情報で繋がっていて、まぁまぁ簡単にゴロっとあっという間に変化が起きる時代になった。
これからはより何が起きるか予測不能な時代といっても過言ではない。
そんな時をこれから生きていくにあたって、どうやって手詰まりを起こさないようにするか?は、とてつもなく重要な問いになってくる。
冒頭に紹介した「よい偶然」というのが、その答えの一つではないかと思う。
「たまたま行ったら物凄く重要な人物と出会えて成功した」とか、そういったことは後々振り返ってみるとよくある話。
ただ、それ以上にたまたまやったことが成果に直接的には結びついていないことの方が多い。
もちろん、そんなことはいちいち気にはしていない。だって、たまたまやったことなのだから。
じゃあ、このたまたまやったことで成功する体験を増やそうと思えばどうすればいいかというと、試行錯誤して手数を増やすしかないのだ。
とにかく色々と試してみる。
失敗してもいい。
そうすればたまたまが起きる。
試行錯誤の質が高ければそれは少しでもよい偶然を引き寄せてくる。
たまたま成功するまで、やり続ければいいのだ。
生活コストでスキルを磨いている奴には勝てない説
チンギス・カンはモンゴルの遊牧民の部族を統一し、当時の世界人口の半分を統治する世界帝国という人類最大規模の帝国を作り上げた。
彼らがそこまで強かった理由として1つとして、騎馬に長けていたことが挙げられる。
遊牧民は馬に乗るのが生活で必須になっているので、全員が乗馬できた。子どもの頃から鍛えられていた。
なので、普通ではできないような手放しで馬を操れたりもしたので、弓矢を馬に乗りながら使えた。
農耕牧畜民はというと、馬に乗るのは特別な訓練を受けなくてはいけなかったし、馬を飼うのに餌代や場所や世話人などのものすごいコストが必要だったのでお金持ちにしか飼えなかった。
全員が騎馬兵の軍隊に対して一部しか騎馬兵になれなかった軍隊。さらには騎馬術が圧倒的に長けていたとなれば、とてもじゃないけど勝てやしなかったのだ。
農耕牧畜民は生活コスト+@で騎馬術のためにコストを払わなければいけなかった。
この差は物凄く大きいということだ。
例えば、言語でもネイティブと同等の言語力を第二言語話者が手に入れようと思えば、物凄いコストを払わなければいけない。
マラソンだと、アフリカの選手でも特にケニアの選手が強いのは生まれながら育ってきた環境にあるわけだ。
CNN.co.jp : ケニアの選手はなぜマラソンに強いのか、その秘密を探る
これらと同じようなことはいくらでもある。
生活コスト同然でスキルを磨いていたり、基礎知識を学んでいたり、能力を高めていると、ついでにやってる奴では勝てなくなる。
大人になってからでも、新しいスキルを身につけたいとかって考える人は多い。
なにかを学ぼうとする時に、大人はある意味ズルいし、保険をかけてしまうので、+@でやってしまいがちだ。
で、結局は中途半端なものとなって、搾取されて終わりなんてことが本当に多い。
新しいスキルを習得して、活躍する!とか、キャリアアップする!というのであれば、それを生活の一部に取り込んでしまう(無いと生活できない)ようにしないと、相当なコストを支払わないと結局大した結果が出ないままに終わってしまう。
才能や血統や運や経済力。それもあるだろうが、そんなの無くても生活の一部にしてしまえばその辺の奴等に負けることは無いだろう。
生まれた時から電流浴びる。
それぐらいの環境を用意してみよう。
何に時間を使うのか?
人の一生の時間というのはそれほどに長くはない。
人生という単位で考えても、1年や1日という単位で考えても、やはりとても短い。
なにに時間を使うのかは人それぞれ、その人の勝手だが、まぁこんな時間の使い方をしてもいいんじゃね?ってことを書いてみる。
瞑想 30分
運動 1時間
読書 30分
発想 30分
作分 30分
これで合計3時間
瞑想は朝起きたら、そのまま寝転んだままする。
いわゆる寝禅というやつだ。
起きたらランニングするなり、筋トレするなりで運動をする。
脳みそに酸素が行き渡って1日通して最高のパフォーマンスが出せる。
運動が終わったら30分ほどの読書。1冊を読み切る必要はなく、一番気になる本の一番気になるところを読めばそれでOK。
読み終えたら、今度は紙とペンを用意して、頭の中の考えを書く。文字でも絵でもOK。
とにかく思いつくものをどんどん書く。
最後に作分。昨日あったことや書きたいことをなんでもいいから書く。ブログでも日記帳でもちらしの裏でもなんでもいい。
全部を朝にする必要もなくて、昼や夜にわけてしてもちろんOK。
たかだか3時間なので、テレビ見たりネット見たりしている無駄な時間を削れば誰にでもできてしまう自己成長ワーク。
たったこれだけで見違えるほどに人間は変わるから面白い。
「立つ」「歩く」「走る」から考える「安定」「進歩」「飛躍」
2本足で立っている時は一番安定している。
歩いて前に進むためには、その安定を捨てて、一瞬ではあるが一本足の不安定な状態になって、もう一本の足を前に出さないといけない。
走るためには両足を地面から離さなければいけない。
安定とは程遠い状態なのだが、より速く・より遠くへ移動できる。
成長するためには、進歩するためには安定した状態から不安定な状態に自らならなければいけないのだ。
さらに「飛躍したい」と思う人も少なくない。
飛躍とは非連続の成長のことをいうのだと思う。
実は歩くと走るは同じ線上にある運動ではない。
走るはジャンプなのだ。
走っている時は両足が地面から離れている瞬間が必ずある。
着地した足で片脚ジャンプを行い、踏み切った足とは別の足で着地する。
これは安定とは程遠い状態だ。
飛躍したいと思うのであれば、軸足すらも離してしまう覚悟がないとダメなのだ。
そこには安定などないが、非連続の成長が得られる。
突っ立っているだけか?
自ら安定を捨てて、歩いてみるか?
それとも走ってみるか?
ファクト認識の能力を高める-相対的な知覚
活躍できる人材とは、幅広い基礎知識を持って、高い知性(知覚と思考)によって、ビジョンを定め、そのビジョンを実現できる人だろう。
ビジョンを実現するには、正確な現状把握と課題発見、課題解決の能力が高くなくてはならない。
正確な現状把握、つまりはファクト認識の力だ。
大前提として、この世の中には数値化や言語化、目に見える形にできないものが大半だということ。
これを重々に念頭に置いておかないといけない。
それを念頭に置いた上で、数値化できるものや言語化できるもの、目や耳や鼻や舌や触角で知覚できるものをどうインプットするかがファクト認識の基本になる。
絶対音感という言葉があるが、どうやら人間を含む動物は生まれた時は皆んなが絶対音感だそうだ。
動物は絶対音感が失われることがないが、人間は言語の獲得によって、絶対音感を失っていってしまう。
後に残るのは相対的に判断する相対音感だ。
ある音を聴いた後に違う音を聴けば、その音が最初の音に比べて高いか低いかを判断できる能力が相対音感だ。
音以外でも人間はほとんどの事象を相対的に知覚している。
大きい小さい。高い低い。強い弱い。速い遅い。
これは便利でもあるのだが、正確なファクト認識を阻害するものでもある。
相対感覚があるが故に数値化や言語化をサボってしまうのだ。
「高いビル」と言った時に、おそらく東京の人と奈良県の天川村辺りの秘境に住む人ではイメージするビルが違ってくるだろう。
「30mの高さのビル」と言えば、同じ高さのビルで話ができる。30mの高さが高いと感じるのか低いと感じるのかはその人それぞれの相対的な感覚に委ねられている。なので「高いビル」はある人にとってはファクトであるが、ある人にとってはファクトで無くなってしまう。
しかし、30mの高さのビルは誰にとってもそれがファクトになる。(高さが間違えてなければ)
正確な現状把握をする際にまず気をつけなければならないことがこの相対的な知覚なのだ。
イメージで語るのではなく、まずは数値化や言語化して誰にとっても同じもので認識できるようにしなければいけない。
ボーダーのシャツ着ているとボーダーのシャツを着ている人を引き寄せる不思議
ボーダーシャツを着た日に出かけると、周りにボーダーシャツの人が溢れる経験はないだろうか?
友達4人と待ち合わせをしていたらボーダーが被ってしまった!とか、恋人とボーダーでペアルックになってしまった!とか、そんな“事故”が起きて笑い話になっていたりする。
そこまではなくても「なんか今日、やけにボーダーシャツ着ている人多くね?」って思ったりする人はいるはずだ。
これはなぜ起きるのか?
本当にボーダーシャツは他のボーダーシャツを引き寄せる効果があるのだろうか?
もちろんそんな効果はない。
ボーダーシャツを着た人が多く感じるのは、自分がボーダーシャツを意識しているからだ。
ボーダーシャツを着ていない時は意識していないから気づいていないだけで、実際は普段と変わらないのだ。
当たり前だけど。
こんな風に人間は自分がフォーカスしているものを、世界から切り取ってインプットする生き物。
意識していなければなんてことない風景でも、意識をするだけで受け取り方がガラッと変わるのだ。
例えば、1日に出会った人の髪の分け目に意識してみれば、右分けの人・左分けの人の傾向が読めてきたりするかもしれない。性格の違いや行動パターンなど。
自分が意識を向けるものを作るだけでこれまでに気づいていないことが発見できる。
それがフォーカスの力なのだ。
「面白いことがない」とか、
「今日はなにもなかった」とか、
1日通して発見や気づき、疑問や不思議が湧き起こらなかったのであれば、それは無理矢理にでも何か意識するものを作った方がいい。
学校や会社の仲間に共有する場を設けて、無理矢理にでも意識する癖をつけるワークを実践するのもいいだろう。
新しい発見や気づきがあった方が刺激的で楽しい世界は広がる。